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【高校日本史】サンフランシスコ平和条約と安保条約の要点ポイント

【高校日本史】サンフランシスコ平和条約と安保条約の要点ポイントです。

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全面講和論

朝鮮戦争勃発後、トルーマンは対日講和促進を表明したが、日本国内ではソ連・中国も含む全連合国と平和条約を締結せよという主張もあった。

サンフランシスコ平和条約

サンフランシスコ平和条約は単独講和であり、日本の国際連合加盟は独立回復後の1956年のことであった。1952年のメーデーでは単独講和反対のスローガンを掲げたものもあった。

サンフランシスコ講和会議自体は、52カ国が参加し、日本の首席全権は吉田茂でした。中国に関しては、中華人民共和国、中華民国ともに招聘されず、インド、ユーゴスラビア、ビルマは不参加だった。1952年に、日印平和条約と日華平和条約、1954年に、日本・ビルマ平和条約が締結されています。

サンフランシスコ講和条約によって、沖縄がアメリカの統治下に置かれた。

日米安全保障条約

サンフランシスコ講和条約と同じ日に日米安全保障条約が調印された。米軍の駐留と、侵略や内乱の際の米軍の出勤などを取り決めた。

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