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【高校日本史】幕藩体制の要点ポイント

幕藩体制の要点ポイントです。

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幕藩体制

江戸幕府の制度は2代将軍徳川秀忠、3代将軍徳川家光の時代にほぼ整い、対外的にはいわゆる鎖国体制がかたまった。こうしてできた国家・社会の仕組みは、将軍と大名(幕府と藩)とが強力な領主権をもって土地と人民とを支配する体制という意味で、幕藩体制とよばれる。

将軍は旗本(1万石未満だが将軍に謁見でき、約5000人)、御家人(将軍に謁見を許されず、1万7000人)という直属の家臣団を多数かかえ、諸大名をはるかにしのぐ強大な軍事力をもっていた。財力の面でも,天領とよばれる将軍の直轄地が17世紀末に400万石に達したほか、江戸・京都・大坂・長崎などの重要都市や佐渡・伊豆・但馬生野・石見大森などの金・銀山を直轄にして貨幣の鋳造権をにぎり、諸大名の財力を大きく上まわっていた。

幕府の職制

幕府の職制では、譜代大名が老中・若年寄などの要職につき、旗本は町奉行・勘定奉行などの役職についたが、おもな役職には2名以上を任じて月番交代で政務をとらせ、権力の独占ができにくいようにしてあった。

石高制度

幕領(天領)と旗本領をあわせた石高は、全国の石高の4分の1程度であった。江戸幕府は、天皇家の経済基盤として禁裏御料を設定した。大名は領国の石高に応じて、将軍への軍役をつとめた。

武家諸法度

3代将軍の徳川家光は武家諸法度を改訂して、大名に参勤交代を義務づけた。大名は、参勤交代による江戸での生活を余儀なくされ、国元以外での支出も大きかった。 武家諸法度には、新たな業歳の禁止など大名を統制する規定があった。

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