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【高校世界史】中国の王朝の歴史まとめ

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中国王朝史

前1600~前1100ころ
紀元前1600年頃、現在確認できる中国最古の王朝である職が成立した。軍事・農事など重要な国事を、神意を占って国王が決定する祭政一致の神権政治が行われ、占いの結果は甲骨文字で記された。

前100~前256
前1027年に股を滅ぼした武王は、渭水のほとり鍋京を都に周を建国。一族や功臣に土地を与えて世襲させ、貢納・従軍の義務を負わせる封建制度が行われた。前770年、周は犬戎の侵入によって鋼京が攻略され、洛邑(現在の洛陽)に都を移した。以後を東周とよぶ。

春秋時代

前770~前403
東周では周王の権威が弱体化し、 諸侯が覇を競う春秋時代となった。この時代、斉の桓公、晋の文公など、春秋の五覇とよばれる有力諸侯が活躍した。

戦国時代

前403~前221
前403年には、普が韓・魏・趙の 三国に分裂。これ以降、実力主義の戦国時代に入った。この時代、周王の権威は完全に失墜し、勝手に土を称する有力諸侯もあらわれた。

前221 ~前206
前221年、戦国の七雄の一つであった秦が中国を統一。始皇帝は封建制度を廃止、全国を36郡(のち48郡)に分け、郡の下に県を置く郡県制を行った。

前202~後220
武帝の時代が最盛期。後8年、王葬によって倒されたが、25年、劉秀は漢王朝を復興した。

三国時代

220~228年
220年、曹丕は黄巾の乱(太平道の教祖張角を指導者とする太平道の信者が各地で起こした農民反乱)によって弱体化した後漢を滅ぼし、魏を建国。劉備の蜀、孫権の呉が並び立つ三国時代へと突入した。

220年、曹不は黄巾の乱によって弱体化した後漢を滅ぼし、魏を建国。劉備の蜀、孫権の呉が並び立つ三国時代へと突入した。魏で九品中正を実施→豪族に有利。

西晋

265~316年
280年、普が呉を倒し、再び中国を統一した(西晋)が、帝位を巡る八王の乱に乗じた匈奴によって、316年に滅亡。317年、普の一族である司馬容が東晋を建国した。

司馬炎が統一(都は洛陽)。普の滅亡後、東晋を建国(都は建康)。280年、普が呉を倒し、再び中国を統一した(西晋)が、帝位を巡る八王の乱に乗じた匈奴によって、316 年に滅亡。翌年、普の一族である司馬容が東晋を建国した。

五胡十六国

304~439年
これより北魏が華北を統一するまでの民族支配が支配する時代を五胡十六国時代という。一時的に華北を統一した前秦が南進したが、淝水(ひすい)の戦いで東晋に敗れた。

4世紀初めから華北に五胡や漢人の国々が興亡。 一時的に華北を統一した前秦が南進したが、淝水(ひすい)の戦いで東晋に敗れた。

北朝

439~581年
鮮卑の拓跋氏(たくばつし)が北魏を建国。439年には 華北を統一したが、その後分裂し、東魏、西魏、北済、北周が興亡、混乱は続いた。

南朝

420~589年
江南においても、皇帝権の弱い東普は、 420年に発に取って代わられ、その後も斉・梁・陳と皇帝権の弱い王朝が続いた。

道教
「道」を宇宙の根源と考える老子と荘子の思想は、合わせて老荘思想と呼ばれ、道家の主流をなす。のちに老荘思想は民間信仰と融合して民衆の間に浸透し、不老長寿などを願う民族宗教の教が成立した(その教えは道家とは別物である)。

589~618年
589年、北周の楊堅(文帝)が隋を建国。陳を滅ぼして南北朝を統一。李淵(唐の高祖)に滅ぼされた。

618~907年
618年に障に代わった唐は、2代皇帝太宗や6代皇帝玄宗の下で繁栄。しかし、安史の乱(755年から763年にかけて、唐の節度使・安禄山とその部下の史思明およびその子供達によって引き起こされた大規模な反乱)で衰退、黄巣の乱を経て、907年、節度使の朱全忠によって滅ぼされた。

五代十国

907~960年
朱全忠が後梁を建国。以後50余年間、華北では5王朝が、華中・華南では10王朝が興亡した。

宋の建国

960~1279年
960年には宋が興った。1126年には金が首都開封を占領する靖康の変が起き、南遷して南宗となった。

1271~1368年
1271年、フビライが元を建国。1279年に南索を滅ぼし、中国全土を支配。紅巾の乱を機に滅亡した。

1368~1644年
朱元璋(しゅげんしょう)は元をモンゴル高原に退け、1368年に明を建国。靖難の変の後に即位した永楽帝の死後は、 北虜南倭に苦しんだ。

1644~1912年
1644年、明を滅ぼした李自成の乱に乗じて、清は中国を統一。アヘン戦争を機に帝国主義列強の侵略を受け、1911年の辛亥革命によって、最後の王朝は滅亡した。

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