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【高校世界史】ヨーロッパ史の流れ(通史)の要点ポイント

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【高校世界史】ヨーロッパ史の流れ(通史)の要点ポイントです。

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古代ヨーロッパの概要

紀元前1100年頃にミケーネ文明が消滅すると、ギリシアは暗黒時代を迎えた。前8世紀になると、ポリスが誕生し、商工業の発達につれて、重装歩兵部隊の中核となった平民が参政権を要求。その後、ペルシア戦争に勝利し、ペリクレスの時代に民主政治が確立した。

  • アリストテレス…全体的正義(ポリスの法順守)と部分的正義(具体的道徳)とに大別し、部分的正義をさらに、報酬・成績などは配分的正義(働きや能力に応じた配分)で、裁判や取引などは調整的正義(平等になるよう調整)にすべきと説いている。

古代ローマ

前6世紀末に共和政となったローマでは、前3世紀末のホルテンシウス法によって貴族と平民の法的平等を達成。ポエニ戦争に勝利した後、急成長をとげて地中海世界帝国を実現。2度の三頭政治を経た後、紀元前27年、帝政が始まり、五賢帝の時代に最大版図を誇った。➊ディオクレティアヌス帝の即位で軍人皇帝時代に終止符が打たれ、専制君主制に。➋コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認し、➌テオドシウス帝は国教化して帝国の分裂阻止を試みるが、395年、東西に分裂。西ローマ帝国は476 年に滅亡する。

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中世ヨーロッパ世界の形成

  • 東ヨーロッパではビザンツ帝国がローマ帝国の伝統を引き継ぎ、中央集権的支配を維持。
  • 西ヨーロッパではローマ=カトリック教会がフランク王国と手を結び、ビザンツ帝国に対抗。カールの戴冠は、ローマ=ゲルマン的西欧世界の独立を象徴するできごとであった。

新約聖書の慣性

ローマ帝国五代ネロ帝の時代にローマで殉教した(65年頃)パウロは、簡罪の思想で神の子イエスの死と復活を意味付け、原始キリスト教団の教義を確立した。この頃(1世紀)、「福音書(イエスの言行録」と「使徒行伝」「パウロの手紙」などを含む新約聖書が完成した。

東ローマ帝国

東ローマ帝国はローマ帝国の旧領を回復したユスティニアヌス帝の死後、聖像禁止令 に端を発する対立が続いた。ローマ教皇はフランク王国に接近し、カロリング朝を承認。 次のカール大帝は西ローマ皇帝の冠を受けた。

中世フランス

フランスはフィリップ2世、フィリップ4世のもとで王権が強化された。イギリスでは、大憲章によってイギリス立憲政治の基礎 が形作られた。これらの国々とは逆に、政治的分裂が深まっていったのがドイツである。15世紀前半以降、皇帝はハプスブルク家から出されるようになり、皇帝は帝国統一につとめたが失敗した。

カトリック教会への批判は、すでに14世紀ころからみられたが、1517年、ルターは 九十五ヶ条の論題を発表、宗教改革をはじめた。これに対しカトリック教会も内部革新に 17世紀の前半に、16世紀から続いていた経済成長がとまり、ヨーロッパは凶作、不況、人口などの停滞などの現象にみまわれた。

■ 百年戦争

  • カペー朝…フィリップ2世はジョン王から大陸の英領をうばう。フィリップ4世は三部会を開き、教皇庁をアヴィニョンにうつす。
  • 百年戦争…1339年から。ヴァロワ朝成立→英王エドワード3世が王位継承を主張(背景にフランドル地方の争奪)。英の優勢→ジャンヌ=ダルクにより戦局を逆転→大陸の英領はカレーのみ。仏王権強大化。

中世イギリス

  • プランタジネット朝…ジョン王の不当な課税に対して貴族が結束して反抗。1215年貴族は大憲章(マグナ=カルタ)を認めさせる。
  • 模範議会…1265年シモン=ド=モンフォールが封臣会議に州・都市の代表を加える。13世紀末に模範議会。14世紀半ばに二院制。
  • テューダー朝…百年戦争・バラ戦争を経てリフ世が王権を伸張。

中世スペイン・ポルトガル

  • 国土回復運動(レコンキスタ)…イスラーム教徒を圧迫。
  • スペイン…1479年カスティリャ・アラゴンが合併し成立。1492年グラナダのナスル朝を陥落させ、イスラーム勢力を一掃。
  • ポルトガル…12世紀半ば、カスティリャから独立。

中世ドイツ・イタリア・北欧3国

  • ドイツ…13世紀後半、大空位時代。14世紀半ばカール4世の金印勅書により、皇帝権は有名無実化。大諸侯領(領邦)や自由都市が分立。14世紀後半、ハプスブルク家の支配からスイスが独立。
  • イタリア…皇帝党・教皇党の対立。多くの国・諸侯・都市に分立。
  • 北欧3国…デンマーク・スウェーデン・ノルウェーがカルマル同盟結成。
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近代ヨーロッパまとめ

1814年、ナポレオン戦争によってもたらされた事態を収拾するため、ウィーン会議が開催された。しかし、1848年、フランス 二月革命の影響が各地に波及し、ウィーン体制の推進者メッテルニヒは失脚。フランスでは、ルイ=ナポレオンが国民投票によって皇帝となり、第二帝政を始めた。

18世紀後半、イギリスで起こった産業革命は、周辺諸国にも技術革新をもたらした。イギリスは、「世界の工場」として繁栄を謳歌したが、労働運動・社会運動が激化。19世紀後半には国民主義も進展し、イタリアでは、1861 年イタリア王国が成立した。ドイツで統一運動の中心になったのはプロイセンであり、 1871年ドイツ帝国を成立させ た。

19世紀後半、重化学工業を中心に第2次産業革命が進展。アメリカやヨーロッパの市場を失う状況に陥ったイギリスは、フランスやドイツと鋭く対立するにするに至った。こうして近代資本主義は、列国の巨大資本が覇を競う帝国主義の段階へと進む。

産業革命

産業改革で、技術の向上による産業と社会の仕組みが変化。イギリスでは、綿工業の技術革新が続き、蒸気機関で動く機械が実用化されて大量生産が始まりました。製鉄、機械、造船、武器などの産業が発達。蒸気機関車の走る鉄道により交通の便が良くなりました。イギリスは、「世界の工場」と呼ばれました。

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