高校世界史【中世の歴史要点】ここだけは押さえる!

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【高校世界史】中世のまとめです。

中世ヨーロッパ世界の形成

  • 東ヨーロッパではビザンツ帝国がローマ帝国の伝統を引き継ぎ、中央集権的支配を維持。
  • 西ヨーロッパではローマ=カトリック教会がフランク王国と手を結び、ビザンツ帝国に対抗。カールの戴冠は、ローマ=ゲルマン的西欧世界の独立を象徴するできごとであった。
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新約聖書の慣性

ローマ帝国五代ネロ帝の時代にローマで殉教した(65年頃)パウロは、簡罪の思想で神の子イエスの死と復活を意味付け、原始キリスト教団の教義を確立した。この頃(1世紀)、「福音書(イエスの言行録」と「使徒行伝」「パウロの手紙」などを含む新約聖書が完成した。

東アジア世界の発展

新しい貴族文化をもとにして成立した隋・唐の王朝は、中国全土を統一するとともに、日本・朝鮮など周辺諸国にも大きな影響を与えた。唐が滅亡への道をたどり、五代十国の動乱をへて栄が成立するまでの時期は、中国史上有数の変革期といわれる。

五胡十六国時代

これより北魏が華北を統一するまでの民族支配が支配する時代を五胡十六国時代という。一時的に華北を統一した前秦が南進したが、淝水(ひすい)の戦いで東晋に敗れた。

確認【高校世界史】中国王朝史

中世アジア諸地域の繁栄

ユーラシアの広大な地域を支配したモンゴル帝国の崩壊後、アジア諸地域には新たな国家が成長してきた。中国では14世紀に明王朝、17世紀に清王朝が興起。その他の各地ではイスラム王朝が興り、中央アジアでは14世紀にティムール朝、小アジアでは16世紀前半に最盛期を迎えたオスマン帝国が成立。イランではサファヴィー朝、インドではムガル帝国が16世紀に建国された。

ブワイフ朝

クライシュ族の商人ムハンマドは、厳格な一神教である イスラム教をとなえた。ムハンマドの死後、アラブ人は大規模な征服活動を開始し、東方ではササン朝を滅ぼしたが、第4代カリフのアリーが暗殺されると、ムアーウィアはウマイヤ朝を開いた。8世紀、ウマイヤ朝は西ゴート王国を滅ぼし、フランク王国に侵入したが、トゥール-ポワティエ間の戦いに敗れた。750年、アッバース朝が建国され、ハールーン=アッラシードのときに最盛期を迎えた。

ムハンマド

イスラム教の創始者ムハンマドの「最後で最高の預言者」という位置付けが、イスラム世界の近代化(現代化)を遅らせる原因ともなっている。すなわち、最後の預言者なので時代の変化に合わせて新しい教義に出来の停滞を余儀なくされてしまうのである。残されているのはコーラン(クルアーン)の解釈だけである。ユダヤ教とイスラーム教には僧侶は存在しない。

ブワイフ朝

946年、ブワイフ朝がバグダード入城。ブワイフ朝を倒したセルジューク朝は アッバース朝カリフからスルタンの称号を授けられた。エジプトにアイユーブ朝を樹立したサラディンはファーティマ朝を倒してスンナ派の信仰を回復。その後マムルーク朝が建てられた。1492年にスペイン王国がナスル朝を滅ぼすとイスラム教徒の多くは北アフリカに引き上げた。

ヨーロッパ世界の発展

封建社会は11~13世紀に最盛期を迎えた。十字軍をきっかけに東方貿易が拡大、商業が繁栄し、貨幣経済の浸透とともに農民の地位は向上し、封建社会は崩壊へと向かった。また、教皇権の衰退とは逆に、王権は強まり、各国は中央集権化を推し進めた。

十字軍

十字軍とは、イスラム教徒にうばわれたエルサレム(キリスト教の聖地)を取り戻すため、ヨーロッパの王や貴族がつくった軍隊。

  • 誕生…セルジューク朝が小アジアに進出→ビザンツ皇帝が援助を求める。イェルサレムへの巡礼困難→教皇ウルバヌス2世が1095年クレルモン宗
    教会議を開き、聖地回復を決議。
  • 第1回十字軍…1096年出発。聖地回復し、イエルサレム王国を建設。
  • 第4回十字軍…インノケンティウス3世が提唱。1204年ヴェネツィア商人の商敵コンスタンティノーブルを攻撃し、ラテン帝国を建設。
  • 結果…諸侯・騎士が没落。教皇の権威が揺らぐ。国王の権力強大化。都市・商業の発達→荘園経済揺らぐ。新文化への要請。

遠隔地貿易と都市の発達

  • 地中海商業圏…ジェノヴァ・ヴェネツィアは東方貿易(胡椒など)で繁栄。フィレンツェ・ミラノは手工業・商業。
  • 北ヨーロッパ商業圏…リューベック・ハンブルクなどのハンザ同盟。
    南北商業圏の中継貿易…シャンパーニュ地方→フランドル地方(毛織物)。
  • 自治都市…領主から自治権獲得。イタリア都市は都市共和国へ。メディチ家(フィレンツェ)やフッガー家(アウクスブルク)ら大富豪の出現。
  • ギルド…商人ギルド→大商人市政支配→手工業者の同職ギルド市政進出。

教会勢力の衰退

  • 教皇権の衰退…聖職者への課税をめぐり仏王フィリップ4世と教皇ボニファティウス8世が対立→教皇庁をアヴィニョンヘ→教会大分裂(大シスマ)。
  • 教会改革の動き…14世紀後半以降、英ウィクリフ, ベーメンのフス。コンスタンツ公会議で大シスマに終止符。フスを火刑。

荘園制・封建制の崩壊

  • 貨幣経済の進展…荘園の自給自足経済が崩れる。領主は賦役のかわりに生産物・貨幣を地代として納めさせる。14世紀半ば、ペストで農民減少→労働賃金が上昇、農民の地位向上→独立自営農民(ヨーマン)へ。
  • 農民一揆…ジャックリーの乱(仏)、ワット=タイラーの乱(英)。

近代ヨーロッパの成立

15世紀末から、大航海時代を迎えた。世界の一体化がはじまり、その結果、ヨーロッパの経済・社会も大きく変化した。16世紀には、ヨーロッパ各地に広まった宗教改革に対して、カトリック教会も内部革新に取り組んだ。 新大陸を征服したスペインは、16世紀後半に全盛期を迎えたが、その繁栄は長くは続かなかった。
確認【高校世界史】近代ヨーロッパのまとめ

大航海時代

十字軍の遠征やマルコポーロの『世界の記述(東方見聞録)』などの影響で、ヨーロッパの人々の間に香辛料(こしょうなど)・金・絹織物など、アジアの豊かな物資への要求が高まった。しかし、オスマン帝国が西アジアを支配し、この方面を通行する物資に重税をかけていたことや、イタリア商人がイスラム商人を通じて香辛料や絹織物などを入手して大きな利益を得ていたため、アジアの物資はたいへん高価だった。

ヨーロッパ主権国家体制の展開

17世紀半ばから18世紀後半、ヨーロッパ諸国は重商主義政策をとるようになり、有力国は植民地をめぐる争いを繰り返した。この戦争の時代に急成長したのがイギリスで、17世紀における2度の革命を通じて立憲王政を確立。大陸では、フランス・オーストリアが強大であったが、やがて啓蒙専制主義の体制をとったプロイセン・ロシアもこれに並んだイギリスは17世紀から北アメリカに13の植民地を建設。18世紀、ヨーロッパのアジア進出において、領土支配が重視されるようになった。インドや北アメリカをめぐるフランスとの争いに勝利した。

市民革命

市民階級が絶対王政を倒した革命を、市民革命といいます。絶対王政のもとでは、国王は大商人と結んで産業を統制し、議会を無視して重税をかけ、信仰の自由も認めていませんした。そこで、豊かな農民や工場経営者らは、都市の新興の 商工業者と結んで、議会で力をのばして対抗していきました。市民階級が、身分制にもとづく社会を改め、自由と平等を求めて絶対王政を倒した革命を市民革命とよんでいます。

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