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【高校日本史】第二次世界大戦の要点ポイント

【高校日本史】第二次世界大戦の要点ポイントです。

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第二次世界大戦の始まり

1939年9月ドイツがポーランドに侵攻。イギリス、フランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界対戦が始まります。

■ ドイツの動向
1938年オーストリア併合、さらにズデーテン地方を要求→ミュンヘン会談で承認:イギリス・フランスの対独育和政策。1939年チェコスロヴァキア解体。ポーランド回廊要求→英仏はポーランドと相互援助条約→独ソ不可侵条約の成立。

太平洋戦争

日本軍は真珠湾攻撃とほぼ同時にマレー半島に上陸し、約半年ほどで東南アジア・西太平洋の広大な地域を占領した太平洋戦争中には、大日本青少年団が組織され、学校外でも戦争に協力する体制がつくられた。第二次世界大戦に際して、国民は兵力・労働力として動員され、学徒動員によって子どもも軍需工場で働かされていた。太平洋戦争時、労働力が不足すると、軍需工場には多くの学生・生徒が動員され、女子挺身隊も編成された。

  • ドイツの戦い…1940年パリ占領→仏降伏→南仏にヴィシー政府(ペタンが首班)。イタリアがドイツ側に参戦。日独伊三国軍事同盟の成立。
  • イギリス・フランスの抗戦…ド=ゴールはロンドンに亡命政府をたてて抗戦。イギリスはチャーチル首相のもとで徹底抗戦。
  • 独ソ戦開始(1941年)…ファシズム陣営対民主主義陣営の戦争へ。アメリカの態度当初は不介入→仏の降伏後、武器貸与法で連合国を援助。
  • 日本の戦い…1941年日ソ中立条約、南部仏領インドシナ進駐→米英中蘭のABCD包囲陣。ハワイのパールハーバー(真珠湾)を奇襲。英領マレー半島上陸→大平洋戦争の開始。

皇民化教育

太平洋戦争中に動員された朝鮮人女性のなかには、従軍慰安婦として戦地に送られた人も少なくなかった。日本国内の労働力不足を補うため、朝鮮人・中国人を強制連行し労働させた。日本の植民地支配下の朝鮮や台湾では、皇民化教育が行われ、日本語教育が徹底された。太平洋戦争中にはタイ・ビルマ間の軍用鉄道建設で、連合軍捕虜・アジア人労務者を酷使し太平洋戦争中の1941年には、小学校が国民学校と改められた。第二次世界大戦中には、東条内閣は、大東亜会議を開いた。1942年のミッドウェー海戦での大敗によって制海権、制空権を失い、戦局は日本に不利なものになっていった。

国民生活の崩壊

太平洋戦争時、戦況が悪化すると、徴兵適齢期の大学生などの多くは徴兵猶予を停止され、軍に入隊させられた。第二次世界大戦中には、中等学校以上の学校に配属将校をおいて、軍事訓練が開始された。太平洋戦争中には植民地で台湾人、朝鮮人に対して徴兵制を実施した。

太平洋戦争中には、空襲をさけるため、都市の児童は親元を離れて地方に学童疎開させられた。太平洋戦争の末期には、東京大空襲による被害にもかかわらず、小磯国昭内閣は戦争継続の方針を維持し本土決戦の準備をしていった。 1945年4月には、米軍が沖縄に上陸して沖縄戦がはじまった。アメリカ軍は、沖縄本島上陸作戦を実施して地上戦に勝利した。沖縄戦は一般住民をまきこんだ地上戦だったため、犠牲者は多数にのぼった。

戦局の展開

アメリカは、サイパン島を占領するとその空港を利用してB29爆撃機による東京への空襲を行った。1944年末からアメリカ軍の空襲が本格化すると、最初に大都市 や工業地帯が主な攻撃目標となり、次第に地方都市まで戦災が広がった。

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太平洋戦争終戦

原爆は、広島に次いで長崎にも投下され、無差別で大量の参戦をもたらした。1945年2月には、米・英・ソの連合国首脳がヤルタで会議を開き、ドイツ降伏後のソ連参戦を決めた。1943年には、米・中・英の連合国首脳がカイロで会議を開き、カイロ宣言が発表された。日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏した。1945年8月、鈴木貫太郎内閣は米・英・中の三カ国によるポツダム宣言を受諾し、国体護持の確約を得られないまま、無条件降伏した。第二次世界大戦中には、日本の降伏が、昭和天皇によってラジオ放送で国民に伝えられた。中国東北部などでソ連軍に降伏した数十万の軍人はシベリアに抑留され、強制労働に従事させられた。

連合国の勝利

ソ連がドイツ軍を破り、アメリカ・イギリス軍がイタリアを降伏させます。フランスのパリが解放され、ヤルタ会談(米英ソの首脳が会議を開き、ドイツの戦後処理とソ連の対日参戦をを決める。その後、ドイツが降伏。

  • ヨーロッパ戦線…1942年スターリングラードの戦いで連合国軍の反撃→1943年イタリアが降伏→1944年連合国軍のノルマンディー上陸→ドイツが降伏。
  • 太平洋戦線…1942年 ミッドウェー海戦で戦局が転換→1945年日本降伏。
■ 会談

  • 1941年 大西洋会談:チャーチルとローズヴェルト→大西洋憲章。
  • 1943年 カサブランカ会談:地中海作戦→カイロ会談:対日作戦→テヘラン会談:ヨーロッパ第二戦線の形成。
  • 1945年 ヤルタ会談:対独最終作戦とソ連の対日参戦→ポツダム会談:対日処理方針のポツダム宣言を発表。

日本政府は、ポツダム宣言を受け入れ降伏を決め、1945年8月15日に昭和天皇がラジオ放送(玉音放送)で国民に知らせました。

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