【高校倫理】道元と曹洞宗

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【高校倫理】道元と曹洞宗についてまとめています。

道元

道元(1200 ~53)は、13歳で比叡山に入り、天台宗を学んだ。しかし道元は、天台宗の教えでは人は生まれながらに仏としての本性(仏性)を持っているはずなのに、なぜ改めて修行が必要となるのか、という疑問を抱いた。そのため道元は比叡山を下り、建仁寺で栄西の弟子の下で禅の修行を始めた。23歳のとき宋に渡り、曹洞宗の僧如浄と出会い、その下で悟りを得た。1227年に帰国し、日本曹洞宗を開いた。1243年、越前(福井県)に永平寺を建て、修行の道場とした。

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只管打坐

道元は、如浄のもとで、正しい修行とはただひたすら坐禅をすること(只管打坐)以外にないことを学んだ。道元は「人々皆仏法の器なり(人はみな 仏になる能力を持つ)」と説き、坐禅によって修行をすれば誰でも自力で悟りの境地に至ることができるはずだと考えた。道元は、末法思想によって自己を卑下し現世の悟りを放棄する他力の立場を批判した。

身心脱落

道元は、ひたすら坐禅をすることにより、心身とも一切の束縛を離れて本来の姿に立ち戻り、ありのままの存在と一体化した境地に入ることができるとし、このような境地を身心脱落と表現した。 道元はこの境地について、次のように語った。

仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうといふは、自己をわす るるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。 (万法に証せらるる…森羅万象の中に自己の存在が実証される。) 『正法眼蔵』第一「現成公案」より

修証一等

道元は、坐禅の修行(修)は、悟り(証)と一体である(修証一等、修証 一如)とした。坐禅は悟りに至るための単なる手段ではなく、坐禅の修行がそのまま悟りの境地である。捨て身で只管打坐する姿そのものが仏の姿なのである、と説いた。

道元の著書

  • 正法眼蔵…95巻には、道元が折にふれ説示した内容がまとめら れている。
  • 正法眼蔵随聞記…弟子の懐奘が師の言葉を記録した。道元の考え方が平明な言葉で記されている。

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以上が、【高校倫理】栄西と臨済宗となります。

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