【高校日本史】江戸幕府のしくみ

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【日本史】江戸幕府のしくみについてまとめています。

江戸幕府

徳川家康は1600年の関ヶ原の戦いに勝った後、1603年に征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開いた。方広寺の鐘銘問題がきっかけとなり、大坂の役がおこり徳川家康は大坂夏の陣で、豊臣秀頼を自害に追いこみ豊臣氏を滅ぼした。大坂の役に勝利したのち、幕府は武家諸法度を制定した。

1604年に生まれた徳川家光は、自らの武力で天下を掌握した徳川家康や、父・秀忠と異なり、生まれながらに将軍の後継者であった。老中など、江戸幕府における多くの制度が、この3代将軍・家光のころに整えられた。

  • 大老…将軍を補佐する最高職であるが、常置の役職ではなかった。
  • 老中…譜代大名によって構成され、重要な政策は合議によって決定するなど、幕政全体を統括した。
  • 若年寄…小禄の譜代大名が勤める役職で、旗本の監察を主な任務とし、ある年齢になると老中に昇任した。
  • 幕府評定所…三奉行からなる最高裁判機関であった。

老中などの役職には、月番と呼ばれる1か月交代の制度が取り入れられた。

幕藩体制

江戸幕府の制度は2代将軍徳川秀忠、3代将軍徳川家光の時代にほぼ整い、対外的にはいわゆる鎖国体制がかたまった。こうしてできた国家・社会の仕組みは、将軍と大名(幕府と藩)とが強力な領主権をもって土地と人民とを支配する体制という意味で、幕藩体制とよばれる。

将軍は旗本(1万石未満だが将軍に謁見でき、約5000人)、御家人(将軍に謁見を許されず、1万7000人)という直属の家臣団を多数かかえ、諸大名をはるかにしのぐ強大な軍事力をもっていた。財力の面でも,天領とよばれる将軍の直轄地が17世 紀末に400万石に達したほか、江戸・京都・大坂・長崎などの重要都市や, 佐渡・伊豆・但馬生野・石見大森などの金・銀山を直轄にして貨幣の鋳造権をにぎり、諸大名の財力を大きく上まわっていた。

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幕府の職制

幕府の職制では、譜代大名が老中・若年寄などの要職につき、旗本は町奉行・勘定奉行などの役職についたが、おもな役職には2名以上を任じて月番交代で政務をとらせ、権力の独占ができにくいようにしてあった。

石高

幕領(天領)と旗本領をあわせた石高は、全国の石高の4分の1程度であった。江戸幕府は、天皇家の経済基盤として禁裏御料を設定した。 大名は領国の石高に応じて、将軍への軍役をつとめた。

3代将軍の徳川家光は武家諸法度を改訂して、大名に参勤交代を義務づけた。大名は、参勤交代による江戸での生活を余儀なくされ、国元以外での支出も大きかった。 武家諸法度には、新たな業歳の禁止など大名を統制する規定があった。

まとめ

幕藩体制の確立し、幕府と藩が全国を支配していきます。幕府は、幕府の直接の支配地(幕領)と家臣の領地を合わせて、全国の約4分の1を支配します。京都、大阪、奈良、長崎などの重要な都市やおもな鉱山を直接に支配し、貨幣の鋳造権(ちゅうぞうけん)を独占します。五街道を整備し、街道には宿場(しゅくば)、要地には関所(せきしょ)を設置しました。

  • 大名…将軍から1万石以上の領地を与えられ、それぞれの藩を支配します。
  • 親藩…要地と周辺には将軍家の親戚(尾張、紀伊、水戸は「御三家」)
  • 譜代大名…関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従えていた。
  • 外様大名…遠方には関ヶ原の戦い以後に徳川氏に従えた。
  • 武家諸法度…大名を統制するための法令
  • 参勤交代…大名は妻子を江戸に置き、1年おきに領地と江戸を往復する。3代将軍徳川家光が制度化。
  • 京都所司代…朝廷を監視。
  • 禁中並公家諸法度…天王や公家の行動を制限。

他の時代の幕府のしくみ

以上が、【日本史】江戸幕府のしくみです。

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