【高校日本史】江戸時代の朱印船貿易・鎖国政策のまとめ

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【高校日本史】江戸時代の朱印船貿易・鎖国政策についてまとめています。

江戸時代の外交・貿易

豊後に漂着したオランダ船リーフデ号の乗組員ヤン=ヨーステン は、外交顧問として徳川家康に重用され、平戸のイギリス商館設立に尽力した。ウィリアム=アダムズらが乗ったリーフデ号は、豊後臼杵に漂着した。徳川家康は、外交顧問としてウィリアム=アダムズを登用した。家康政権はポルトガル貿易を統制するために、京都・堺・長崎の特定の商人に糸割符仲間を作らせ、輸入生糸の一括購入をはからせた。

朱印船貿易

江戸時代初期に、伊達政宗は通商を求めて支倉常長をイスパニアへ派遣した。オランダ商館長は、幕府に対して『オランダ風説書』を提出した。 「鎖国」は、ケンペルの著書『日本誌』の一部が19世紀に翻訳されて登場してあらわれた言葉である。京都の茶屋四郎次郎などの豪商は、幕府から海外渡航の許可を得て朱印船貿易に従事し、東南アジアにまで商圏を拡大した。角倉了以は、京都の豪商である。

鎖国政策

秀忠政権は貿易の制限などを目的として、中国船を例外としてすべての外国船の来航を並戸と長崎の2港に制限した。奉書とは、老中が海外に渡航しようとする日本船に発行した渡航許可証である。徳川家光は日本人の海外渡航を禁止し、すでに海外にいる者の帰国も禁じた。

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キリスト教の禁教

徳川家光はキリスト教禁止の徹底をはかり、ポルトガル人を追放した。 江戸時代初期には、ポルトガル商人によって中国産生糸が大量 に輸入された。1641年、鎖国政策の一環として、オランダ商館が平戸から長崎の出島へと移され、鎖国が完成した。

島原・天草一揆

島原・天草一揆は、キリスト京都の多かった島原や天草の人々が、天草四郎(益田時貞)を大将にしておこしました。幕府に鎮圧されます。このころ、鎖国が完成し、幕府による禁教、貿易統制、外交独占の体制となりました。キリスト教徒を発見するために、キリストや聖母マリアの像を踏ませる絵踏や仏教の信者であることを証明する宗門改を行いました。

長崎の出島

江戸時代には中国人の居住地を、長崎の唐人屋敷に限定した。朝鮮との貿易は、対馬の宗氏が行い、朝鮮の釜山に優館が置かれていた。日中間には国交がなく外交使節の往来もなかったが、長崎での中国貿易などを通じて文物の交流がなされた。謝恩使が国王の代替わりごとに琉球から幕府に派遣された。

琉球王国

7世紀初め薩摩藩は琉球王国を占領し貢納させていたが、琉球国王は中国王朝の皇帝に対し臣下の礼をとっていた。 江戸時代初期には、日本の朱印船が東南アジアへ渡航して、さかんに貿易が行われた。

アイヌ

アイヌとの交易の独占を許された松前氏は、その交易権を知行として家臣に分与した。その後、交易は商人が請け負うようになった。アイヌのおもな交易品は、鮮や鯨、昆布などの海産物であり、和人は、本州から米や酒を持ちこんだ。17世紀半ばには、交易条件の悪化を一因としてシャクシャインの戦いが起こった。松前氏の先祖は、15世紀半ばに発生したコシャマインの戦いをしずめて勢力を伸ばした調崎氏である。渡島南部は和人の居住地、それ以外をアイヌの居住地と分けられていた。

まとめ

  • オランダ風説書…オランダ商館長は、オランダ船がもたらす海外の情報をオランダ風説書として、幕府に毎年提出させられ、これによって幕府は、海外の情報を知ることができました。オランダは生糸・絹織物・毛織物や薬品・砂糖などを日本にもた らし、日本からは銀・銅などを手に入れた。
  • 中国(明・清)…正式な国交はありませんでたが、民間の商船が九州各地に多数来航しました。やがて幕府は、中国人の居住を長崎の唐人屋敷に限定して貿易を認めて、他の場所での交易を禁止するようになりました。 中国からも、海外の情報が提供された唐船風説書があります。
  • 輸出…金・銀・銅・海産物・陶磁器など
  • 輸入…生糸・絹織物・砂糖・医薬品など

日本史 あわせて確認

以上が、【日本史】江戸時代の外交・貿易となります。

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