【日本史探究対策問題】江戸時代の問題です。
【対策問題】江戸時代の問題
【問1】江戸時代後期の生活・文化について、以下のA・Bの記述をもとに、人びとが日本各地へ関心を強めていった背景を80字以内で説明しなさい。
A 伊勢参りや善光寺への参詣を一生に一度の念願とする人びともおり、大勢で伊勢に出向く御蔭参りも発生した。
B 歌川広重らが描く風景画の錦絵や、道中物の絵草紙は、人びとに日本各地への関心 を呼び起こした。
【問2】次の問いに答えなさい。
- 大御所時代の享楽的傾向を引き締め、商品経済の統制をはかり、幕府権力の強化をめざした幕政改革を何というか。
- 天保の改革を18年から実施した老中は誰か。
- 天保の改革は、享保の改革、寛政の改革にならったもので、農村の荒廃防止のため、百姓に出稼ぎを禁じ、江戸に住む窮民を強制的に農村に返すこととした。この政策は何か。
- 天保の改革ではきびしい風俗取締りもあわせておこなわれた。処罰を受けた人情本作家をあげよ。
- 水野忠邦が、高騰した江戸のき理するため、1841年に商工業者に対して出した法令で「素人直売買勝手」として自由競争の原理をとり入れたものは何か。
【問3】次の問いに答えなさい。
- 天明の飢饉の教訓をいかし、諸藩に対し石高に応じて米の貯蔵が命じられたが、これを何というか。
- 松平定信は、各地に穀物倉を設け、富裕者の義損や課税により拠出させた。これを何というか。
- 松平定信は、住民に分相応の米穀などを拠出させ穀物倉に備えるよう命じた。これを何というか。
- 松平定信は、江戸の町人に対しても町入用(町費)を節約させ、節減額の7割を江戸町会所に積み立て、低利融資で増殖をはかり、貧民救済にあてるよう指導した。これを何というか。
- 江戸の窮民対策として、浮浪人や再犯の恐れがある罪人などを収容して職業技術を習得させる施設が石川島に設けられた。それは何か。
- 1790年に発令された。江戸に流入した没落百姓の帰村や帰農を奨励する法は何か。
- 松平定信が、旗本・御家人を救済するために、札差らに6年以前の債務を破棄するよう命じた。 1789年の法令は何か。
- 江戸幕府が援助を与えていた林家の私塾である聖堂学問所では、柴野栗山らの建言で、松平定信により朱子学以外の学問が禁じられた。この政策を何というか。
【問4】徳川吉宗について次の問いに答えなさい。
- 1716年、7代将軍徳川家継が8歳で死去し家康以来の宗家が途絶えたあと、紀伊徳川家から迎えられた8代将軍は誰か。
- 家康の曽孫である8代将軍は、家康時代への復古を掲げ、側近政治をやめて改革をおこなった。財政再建・ 商業資本統制・法制の整備を柱とするこの改革政治を何というか。
- 徳川吉宗は旗本に対して、役職の標準石高を定め、それ以下の者が就任するとき、在職中のみ不足分を支給する制度をはじめ、人材の登用と支出の抑制をはかった。 この制度は何か。
- 徳川吉宗は増収策として「御恥辱をも顧みられず」と諸大名に八木(米)の上納を命じた。この政策は何か。
- 徳川吉宗は、旗本・御家人と札差の間に激増する貸借訴訟に対し、評定所ではいっさい受理せず、すべて当事者間の和談で解決させる法令を出した。これは何か。
- 徳川吉宗は幕領に対し、従来の検見法による年貢納入を改めて、豊凶にかかわりなく税率を一定にする方式を広く採用し、年貢増徴をめざした。この方式を何というか。
- 徳川吉宗は商業を統制するため、問屋商人に同業者団体を組織させ、独占的営業を公認した。その同業者団体を何というか。
- 徳川吉宗が長崎貿易における輸入品目の規制をゆるめて、この時期にキリスト教関係以外について輸入制限をゆるめたものがある。それは何か。
- 商品経済の発達に伴い、吉宗が栽培をすすめた作物・ 薬草などを2つあげよ。
- 徳川吉宗が庶民の意見を求めるため,評定所前に置いた投書箱を何というか。
- 目安箱の投書により、徳川吉宗は貧民を対象とする医療施設を設けた。それは何か。
- 目安箱の投書により、徳川吉宗は江戸の消防組織づくりを町奉行大岡忠相に命じた。このときに結成された消防組織を何というか。
- 徳川吉宗は法制を整えるため、老中を主任に命じ、三奉行らに上下2巻の刑事・行政関係の法令や刑法・訴訟法に関する規定を編纂させた。それは何か。
【解答】江戸時代の問題
【問1】寺社参詣に向かう人びとは道中でさまざまな文物にふれ、講などを通して周囲にも伝えられた。風景画の錦絵や絵草紙も地理的な情報を提供し、人びとの各地への関心を高めた。
【問2】
- 天保の改革
- 水野忠邦
- 人返しの法
- 為永春水
- 株仲間解放令
【問3】
- 囲米
- 義倉
- 社倉
- 七分積金
- 人足寄場
- 旧里帰農令
- 棄捐令
- 寛政異学の禁
【問4】
- 徳川吉宗
- 享保の改革
- 足高の制
- 上げ米
- 相対済し令
- 定免法
- 株仲間
- 漢訳洋書
- 甘藷、朝鮮人参など
- 目安箱
- 小石川養生所
- 町火消
- 公事方御定書
江戸時代の定期テスト対策問題の解説
【問4】
4.大名に対し石高1万石につき100石の米を上納させる制度 が実施された1722~30年の間は、参勤交代での諸大名のエ 戸在府期間が半減された。これにより幕府は年18万7000石 の収入をあげた。享保の改革での財政再建策には、支出の 抑制をはかるためのきびしい倹約令もあった。
9.徳川吉宗は産業開発に役立つ実学を奨励した。吉宗の命でオ ランダ語を学習して「和蘭文字略 考』を著した青木昆陽は、 備荒作物としての甘藷栽培にもつうじ『著著考』を著した。 なお, 甘庶はさとうきびのこと。
13.この編纂にあたったのが、大岡忠相ら。なお、1615年以降の触れを類別に編纂したのが御触書寛保集成。
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