【日本史】元禄文化

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【日本史】元禄文化についてまとめています。

元禄文化

  • 吉田光由は『塵劫記』を著し、和算の普及に寄与した。
  • 関孝和は、高等数学の理論を組み立てて和算を大きく発展させ、『発微算法』を著した。
  • 将軍徳川綱吉は、湯島聖堂を建てて、林信篤(鳥岡)を大学頭に任じた。
  • 伊藤仁斎は古義学派を形成し、古義堂を開いて多くの門人を育てた。
  • 山崎闇斎は、儒教(朱子学)と神道を融合させて垂加神道を開いた。
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朱子学

朱子学の一派である海南学派(南学)が土佐に起こった。その流れをくむ山崎闇斎門下の佐藤直方は、幕府の判断を支持し、元赤穂藩士の討ち入りを批判した。朱子学者の室鳩巣は、幕府に登用され八代将軍吉宗の信任を得た。朱子学が広く学ばれるようになったが、古学を提唱した山鹿素行のように、朱子学を攻撃して幕府によって赤穂に流される者もいた。山鹿素行の著書には、『聖教要録』がある。中江藤樹は、陽明学を提唱した。

古文辞学派の代表的人物である荻生想は、柳沢吉保に仕えて『政談』を著した。 『経済録』などの著述をもつ太宰春台は、赤穂藩士たちが、吉良 義央ではなく幕府と対決すべきであったと主張した。17世紀半ばには岡山藩が陽明学者の熊沢番山を招いたようにいくつかの藩では儒学思想にもとづいて家臣や領民を教化する破策がとられた。

歴史書

契沖は、古典の和歌を従来の伝統にとらわれずに綿密に考証し『万葉代匠記』を著した。17世紀末から18世紀初頭には、北村季吟が『源氏物語』などを研究して、『源氏物語湖月抄』を著した。江戸幕府は儒者の林羅山に命じ、日本の通史である『本朝通鑑の編纂という大規模な修史事業を行った。水戸家に生まれた徳川光圀は、家督を継いで藩政確立に努める一方、彰考館で歴史書である『大日本史』の編纂をはじめ、朱舜がを招いて学事にあたらせた。動物や薬草などの研究を行う本草学が発達した。

  • 本草学者の稲生若水が『庶物類集』を編集した。
  • 貝原益軒は『大和本草』を著し、本草学の基礎を築いた。
  • 安井算哲により、中国の暦を訂正した貞享暦が作成された。

文学

元禄文化を代表する浄瑠璃脚本家の近松門左衛門*は、竹本義太夫と結び多くの作品を残した。人形浄瑠璃は、浄瑠璃が新しい曲風の義太夫節と結びつくことによって発展した。日本永代蔵』などの浮世草子に、現世を生き抜く町人の姿が描かれた。

  • 浮世草子を創始した井原西鶴は、町人の愛欲の世界を奔放に描写し、営利の道を肯定的に描いた。
  • 松尾芭蕉は、松永貞徳ら貞門派や西山宗因ら談林派の俳風を学び、自己の俳風として正園(蕉風)を確立した。
  • 西山宗因らの談林派による俳諧がもてはやされた。

近世において女歌舞伎が禁止されると、これに代わって美少年が女役を演じる若衆歌舞伎が盛んになった。 江戸の市川団十郎は、立ち回りの勇壮な演技で売事役者としての名声を博した。

美術

江戸時代には、宮崎友禅が、友禅染の技法を開発した。 17世紀末から18世紀初頭には、尾形光跡が絵画のみならず、高絵の分野でも「八橋蒔絵硯箱」などの名作を残した。「紅白梅図屏風」などを描いた尾形光琳は、俵屋宗達の画法を取り入れ、洗練された装飾的表現をとった。 尾形乾山は京焼の大成者の野々村仁清の弟子である。菱川師宣は浮世絵を大成し、「見返り美人図」を残した。

まとめ

綱吉の時代の上方を中心に町人の文化が栄えた。上方(京都・大阪が中心)都市の勢いを表す経済力をつけた町人による新しい文化。

  • 朱子学…儒学の1つで、身分の上下を重視する考え方。五代将軍徳川綱吉が幕府の学問とした。
  • 浮世絵…版画として売られ、一般に広まる。
  • 松尾芭蕉…俳諧を芸術にまで高め、「奥の細道」を表す。
  • 浮世草子や歌舞伎など多くの大衆文化が発達した。

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