【日本史】平安時代

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【日本史】平安時代についてまとめています。

平安時代

大宝律令を施行した文武天皇の死後には、その母親が元明天皇として皇位についた。平城京の市は官営で、東西の市司が管理していた。

  • 市司…平城京の左京・右京に設けられた市を監督した。
  • 衛士…諸国の軍団から都に上京し、宮門の警備を行った。

金石文や平城京などの古代の都城遺跡から多数発見される木簡によって、史書に記されていない歴史的事実を知ることができる。

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秋田城

秋田城は8世紀前半の天平年間に、蝦夷支配の拠点の一つとして 出羽国に設置された。東北地方の陸奥・出羽両国には、蝦夷の勢力を支配するために、秋田城のほか、多賀城・胆沢城がつくられ、多賀城には鎮守府が置かれた。 薩摩・大隅地方の人はしばしば中央政府に反抗したが、8世紀前半には最終的に鎮圧された。 蓄銭叙位令を出した元明天皇は、皇位を娘に譲った。海路で唐に渡る場合、7世紀には、朝鮮半島沿岸を通る北路が使用されたが、8世紀には、新羅との関係が悪化したので南路をとった。 遣唐使が渡航に用いた経路では、南路は北路に比べて航海上の 危険性が大きかった。

長屋王

長屋王は親王(天皇の子や兄弟)と記されているが、天武天皇の孫であり、藤原不比等の死後実権をにぎったが、天皇家と結びつき勢力を拡大した藤原四子と対立し、策謀により自殺させられた。1988年、平城京の邸宅跡から大量の木簡が出土したが、その記
録から邸宅の主は長屋王であることが判明した。 長屋王政権の下で、口分田不足を補うため、百万町歩開墾計画や、三世一身法がだされた。

  • 三世一身法…未開地を開墾した場合は三世にわたり、既墾地 を開墾しなおした場合には本人一代にわたりその保有を認めた。

聖武天皇

聖武天皇は国分寺建立の詔、大仏造立の詔をだした。

  • 鑑真…何度も遭難しながらも、日本へ渡って仏教の戒律を伝えた。
  • 藤原仲麻呂…養老律令を施行した。
  • 光明子…驚く仏教を信仰し、貧窮者の救済をめざして悲田院・ 施薬院を置いた。

737年に、藤原不比等の四子が疫病で死亡したことにより、藤原氏の勢力は衰えた。 8世紀には、藤原広嗣が聖武天皇の信任厚い玄防や吉備真備らの排除を求めて大宰府で反乱を起こし、失敗に終わったが、政界に大きな動揺を与えた。

  • 玄助…橘諸兄の政権に参画したが、藤原仲麻呂の台頭により失脚した
  • 孝謙天皇…東大寺大仏の開眼供養を行い、譲位して上皇となった。
  • 墾田永年私財法…開墾地の私有を永年にわたって認めた法がだされた。

奈良時代中期

奈良時代中期には、国府の周辺に国分寺や国分尼寺が建立された。仏教を重んじた称徳天皇は、太政大臣禅師の地位を設けた。奈良時代には貴族は、朝廷から封戸を得るなどの特権が与えられた。

  • 道鏡…称徳天皇の支持により法王となって権力を握り、撃田開発を寺院だけの特権とするために、墾田永年私財法を停止するなどした。
  • 和気清麻呂…藤原百川らとともに、皇位に就こうとする道鏡の企 てを阻止した。

光仁天皇

光仁天皇の時代には、東北地方で起こった伊治階麻呂の乱の鎮圧に努めた。律令政府は、都と諸国を結ぶ官道を整備し、駅家を置いて地方と
の連絡に利用した。

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