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【高校日本史】平氏政権の要点ポイント

【高校日本史】平氏政権の要点ポイントです。平安時代後期に展開された院政は、王家内部の対立を徐々に激化していこになった。それは藤原氏(摂関家)を中心とする貴族諸家の内部分裂抗争を引き起こすことにも なった。保元の乱・平治の乱はそれらの対立を背景に起こった事件。これらの乱に勝利した平清盛以後、平氏はやがて、全盛期を迎えることになります。

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平氏の栄華

平氏は諸国の武士団の組織化に力をつくしながら、多くの荘園や知行国を手にいれて富をたくわえた。また平清盛は日宋貿易に力をいれて、 瀬戸内海航路をととのえ、大輪田泊(現、神戸港)を修築し、宋の商船を畿内にまでひきいれた。宋からの高級織物や香料・書籍などの輸入品は、平氏の富をさらに大きく貢献した。

こうした武力と富によって平氏は後白河上皇につかえ、ついには平清盛が太政大臣になったのをはじめ、一族も高位高官につき、平清盛の娘徳子(建礼門院)は高倉天皇の中宮となって、平氏にあらざれば、人にあらずとまでいわれるようになった。だがこの平氏政権も、武士の政権とはいえ、それまでの朝廷の 支配機構をそのまま利用してきずかれていただけに、平氏によって圧迫された旧勢力の強い反発をうけた。

平清盛

平清盛は太政大臣に任命され、その一族も高位高官に昇った。大輪田泊の修築を行うなど、日宋貿易を奨励した。13世紀中頃から借上を金融業者として、米銭の輸送または賃借に為替という決済手段が用いられた。

後白河上皇

後白河上皇の時期には、鹿ケ谷事件(鹿ヶ谷の陰謀)が起き、藤原成親が俊寛とともに処罰された。11世紀には、上級貴族や寺社は知行国主として一国の支配権を与えられ、国守には国主の子弟が任命された。

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