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【高校日本史】豊臣秀吉の政策の要点ポイント

【高校日本史】豊臣秀吉の政策の要点ポイントです。

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豊臣秀吉

豊臣秀吉
豊臣秀吉は関白についで太政大臣に任じられたが、征夷大将軍になることはなかった。聚楽第(じゅらくだい)を造営して天皇をむかえ、諸大名に天皇と自分に対する忠誠を誓わせた。四国、九州を平定したのち、小田原城にたてこもった後北条氏を攻め、あわせて東北地方の諸大名も服従させた。

太閤検地

近世には検地の結果、村の田畑屋敷地では、検地帳に登録された者に所持が認められた。太閤検地では土地測量の基準が統一され、300歩=反と定められた。1村ごとに耕地の面積などを調査し、従来の高制を石高制に改めた。一地一作人の原則で耕作者を決め、従来の複雑な土地所有関係を整理した。

太閤検地により決められた石高は、土地の生産力を米の生産量で示すもので、年貢の量を示すものではなかった。近世の日本では士農工商にわたる身分体制の確立は、主として農民を対象に発せられた刀狩令によって着手された。

人掃令

1591年に、武士の百姓・町人化、農民の移転・転業を禁じる法律。検地、刀狩令、この人掃令により、兵農分離が完成。

朝鮮侵略

朝鮮に対して、人貢と明征服の先導役を果たすことを表明した。朝鮮侵略の際に、朝鮮で発達していた活字印刷の技術が日本へ持ち込まれた。朝鮮に出兵していた諸大名とその軍勢は、秀吉の死後に全軍撤退した。

バテレン追放令

「日本は神国である」としてバテレン追放(宣教師)令を出し、宣教師の国外追放を命じ、長崎の教会員定収した。京都・長崎などの商人の、東アジア諸国への渡航を認めた。倭寇などの海賊行為を取り締まった。

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