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【高校日本史】東山文化の要点ポイント

【高校日本史】東山文化の要点ポイントです。

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東山文化の概要

8代将軍足利義政の時代を中心とした、禅宗・明文化の影響を受けた枯淡幽玄の文化。足利義政は応仁の乱ののち、京都東山の山荘に隠退して、足利義満の金閣にならって銀閣(慈照寺)を建てた。簡素で幽玄のおもむきの強い書院造風の銀閣には、この時代独自の性格がみられるところから、銀閣に代表される文化を東山文化とよぶ。東山文化は将軍引退後に造営された山荘に代表される文化で、床の間・違い棚・付書院をもった書院造の東求堂が建てられた。

東山文化の時期には、大徳寺大仙院や竜安寺の庭園のように、石・白砂の組み合わせを主として大自然を表現した枯山水がつくられた。東求堂の同仁斎のように、床・棚・明障子・襖をもちいた書院造という建築様式ができた。室町時代の高級和紙の産地として、越前・美濃などが知られる。

庶民文芸の流行
14世紀後半には、連歌の規則書である応安新式が作られた。二条良基は連歌の規則書を著し、『新撰菜玖波集』を撰し、連歌を和歌と対等の地位にたかめた。山崎宗鑑の俳諧連歌は、口語を用いて滑稽さをねらう作風を流行させた。

将軍足利義尚に連歌を指導した宗祇は、連歌の芸術性ばかり、九州から東北までの諸国を遍歴して旅の生涯を送った。 戦国時代には農業の進歩にともなって民衆の生活が向上し、民衆が参加し楽しむ各種の芸能も盛んになった。趣向を凝らした扮装をして踊る風流踊りが盛んになった。

禅僧が家からもたらした茶は、南北朝・室町時代に寄合の茶の湯として流行した。堺の村田珠光がはじめた宿び茶の方式は武野紹鴎に受け継がれた。

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