【大学入試小論文】外国語理解についての解答例です。
「翻訳」について、筆者の意見を参考にしながらあなたの考えを800字以内でわかりやすく述べなさい。
外国語理解についての大学入試小論文のある人の解答例
私も、筆者が言うように、翻訳にはその言語を話す国の文化や社会に関する知識が必要であると思う。そして単語を機械的に訳すだけでは文脈を捉えることはできず、自分が訳した文章から話し手の意図を読み取ることが困難になってしまうと考える。
日本の謙遜の文化を例にとってみる。ある品物に「粗品ですがお受け取りください」という手紙が添えられていたとする。これを、日本語は理解できるが、日本の謙遜の文化を知らない外国人が受け取った場合、いらないものをわざわざよこしてきたと不愉快に感じるだろう。このように、相手の国の文化についての知識がなければ、たとえ語学力が高くても相手との間にミスコミュニケーションが生じてしまうのである。
たしかに、語学力が高ければ文章を正確に訳すことができるだろう。しかし私は、翻訳というものは、その言語の背景にある文化の理解なくして成り立たないと考える。なぜなら言葉はそれを使う人々の永い歴史や文化を背負っており、彼らのものの考え方や、感じ方というものを内包しているからである。簡単に見える文章でさえ、実はその言語の特有の事情を含んでいて、文化の差が、わずかなニュアンスの違いや、時に決定的な誤訳を生み出すことにつながりかねないと思う。かつてドナルド・キーン氏が太宰治の「斜陽」の一節にある「白足袋」を、当時の日本の正装であることを理解したうえで「formal costume」と訳し、歴史に残る名訳と賞賛されたように、文化の理解なくして言語の真意を伝えることは不可能なのである。
以上のことから、私は筆者と同様に、外国語を本当に理解し翻訳するためには、その言語を話す人々の背景にある文化や社会についての理解が必要不可欠であると思う。そうすることで、多文化共生を迎えた現代社会において自分と異なる他者を尊重し、受け止めることができると考える。
外国語理解についての大学入試小論文の添削・アドバイス
1.導入部分の整理
最初の段落で主張を明確にするために、筆者の意見を簡潔に要約しつつ、自分の考えを述べるとより分かりやすくなります。
修正例:翻訳には、単に単語を正確に訳すだけではなく、その言語を話す国の文化や社会についての深い知識が必要だと、筆者は主張している。私もこの意見に賛同する。文化や社会の背景を知らなければ、話し手の意図を正確に読み取ることは難しいと考えるからだ。
2. 具体例の説明を簡潔に
「日本の謙遜の文化」の例は非常に良いですが、少し冗長な印象があります。文量を調整しつつ、具体性を保つとさらに効果的です。
修正例:例えば、日本の謙遜文化を知らない外国人が、「粗品ですがお受け取りください」という表現を見た場合、謙遜の意図を理解できず、不快に思うかもしれない。このように、文化的背景を知らないと、正確な翻訳ができてもミスコミュニケーションが生じる可能性がある。
3. 歴史的背景の引用を強調
ドナルド・キーン氏のエピソードは非常に説得力がありますが、もう少し簡潔にしつつ要点を強調すると良いでしょう。
修正例:たとえば、ドナルド・キーン氏は太宰治の『斜陽』に登場する「白足袋」を、「formal costume」と訳した。これは、日本文化を深く理解していたからこその名訳として高く評価されている。この事例からも、文化を理解せずに翻訳を行うことの限界が明らかである。
4. 結論を簡潔に強調
最後の部分では、主張を簡潔に繰り返し、多文化共生社会へのつながりを少し強調すると良いでしょう。
修正例:以上のことから、翻訳にはその言語を話す人々の文化や社会への理解が不可欠だと言える。それは単なる言葉の置き換えではなく、異文化を理解し、他者を尊重する姿勢そのものだからである。
外国語理解についての大学入試小論文の全体修正案
翻訳には、単に単語を正確に訳すだけではなく、その言語を話す国の文化や社会についての深い知識が必要だと筆者は主張している。私もこの意見に賛同する。文化や社会の背景を理解せずに翻訳を行うことは、話し手の意図を正確に伝えることを困難にすると考えるからである。
たとえば、日本の謙遜文化を知らない外国人が「粗品ですがお受け取りください」という表現を見た場合、この言葉に込められた謙遜の意図を理解できず、「いらないものを渡された」と感じて不快に思うかもしれない。このように、文化的背景を知らないまま翻訳すると、たとえ言語的に正確であっても、ミスコミュニケーションを招く可能性がある。
さらに、言葉はその言語を使う人々の歴史や文化、価値観を反映しているため、背景への理解が翻訳において不可欠である。たとえば、ドナルド・キーン氏は太宰治の『斜陽』に登場する「白足袋」を「formal costume」と訳した。この翻訳が名訳と評される理由は、当時の日本における白足袋の象徴的な意味を深く理解した上で、適切な表現を選んだからである。このような文化的知識がなければ、正確な翻訳は不可能であり、意図を伝えきれない。
以上のことから、翻訳にはその言語を話す人々の文化や社会についての理解が不可欠である。それは単なる言葉の置き換えにとどまらず、異文化を尊重し、多様性を受け入れる姿勢そのものだからである。多文化共生が進む現代社会において、このような理解と尊重の姿勢はますます重要になると考える。
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