【高校日本史】宝暦・天明期の文化の要点ポイントです。
宝暦・天明期の文化
西洋の学術の総称を江戸時代初期には南蛮学、江戸時代中期には蘭学、幕末には洋学と呼ばれる。宝暦・天明期の文化では、洋楽の始まり
洋学の始まり
西川知見は、中国・東南アジア・ヨーロッパなど世界各地域の産物を記した『華夷通商考』を著した。新井白石は潜入したイタリア人宣教師シドッチを尋問し、『西洋紀聞』を著した。徳川吉宗が野呂元丈らにオランダ語を学ばせたことを契機に、蘭学が芽生えた。
凶作時にも強い、甘藷の栽培法を研究した青木昆陽は、『蕃薯考』を著した。また、本草学者の田村藍水は平賀源内のすすめで、江戸で最初の物産会を開いた。
近世後期には、大槻玄沢が『蘭学階梯』を著すなど、蘭学の普及につとめた。また、江戸に蘭学の私塾である芝蘭堂を設立して多くの子を養成した。
- 杉田玄白ら…西洋医学の解剖書『ターヘルニアナトミア』を翻訳した。
- 志筑忠雄…『暦象新書』を著して、こュートンの力学やコペルニクスの地動説を紹介した。
- 稲村三伯…最初の蘭日対訳辞書である『ハルマ剤薬』を訳出した。
蘭学の成果を吸収するために設けられた箇書和解御用(掛)では、洋書の翻訳などが行なわれた。 高保己ーは、日本の古典史料の刊行を進めた。
国学の発達
本居宣長は、長年にわたって『古事記』を研究した成果を『古事記伝』としてまとめた。仏教や儒教が伝来する以前の日本人本来の思想を研究する学問として、国学を大成した。国学者の平田篤胤は、賀茂真淵の説をうけて復古神道を唱えたが、この説は豪農層の間にも普及した。
- 伊能忠敬…全国の沿岸の測量を行い、『大日本沿海輿地全図』の作成にあたった。
- 平賀源内…物理学の研究を進め、摩擦発電器(エレキテル)の実験を行い、寒暖計や不燃性の布などをつくった。
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