大学入試・小論文解答例「広告のあり方」

シェアする

スポンサーリンク

大学入試・小論文解答例「広告のあり方」についてまとめています。
<問題>
次の記事を読んで、あなたの考えるところを八〇〇字以内で論述しなさい。

<記事の要点>
とある「パラリンピックポスター」を掲載したところ、一部から反発があり掲載をとりやめた

参考大学入試・小論文出題ネタ|報道・メディア問題のポイント

解答例1

私はこのポスターは、配布すべきでないと思う。以下の2点が私の考える理由だ。
まず引っ掛かるのは、「人間です」の部分である。これなら単なる障害者の人権擁護ポスターでもいいのではないか。このフレーズからは、パラリンピックらしさ、スポーツの素晴らしさは感じられない。パラリンピックポスターとしての在り方を考えると、この表現はふさわしくないだろう。

例えば、「両手があっても、走る。両手がなくても、走る。」などと、運動の要素を加えることで、パラリンピックのポスターとしての意義をなすのではないかと思った。

そして、「不自由なぶんだけ、~」の部分は、間接的に障害者を差別した表現と言える。このコピーライターが、障害のない生活を送っているならなおさらだ。人間は無意識の内に、差別してしまう生き物である。

このポスターの表現が適正かどうかは、当事者である選手達に確認を取るのが一番妥当であろう。事前にそこまで通して理解を得てから公表すれば、第三者からの反発は少なかったのではないだろうか。

最後に、作成者は、心に響く表現にしたかったと述べているが、ポスターはあくまでも大会を彩る脇役だから、ゴールはそこではないと思う。最終的に心に響くべきは、大会内で起こったハプニングから生まれる物語や、懸命にスポーツマンシップに則って戦う選手たちの姿や、選手同士の感動的な絆や友情ではなかろうか。

日本パラリンピック委員会によると、パラリンピックは、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場であり、共生社会を具現化するための重要なヒントが詰まっている大会と位置づけている。そのような大会だからこそ、ポスターは抽象的でいい。これらの意義は、大会の中で示すべきだと私は思う。

以上の理由から、私は配布しないのが妥当案だと考える。

スポンサーリンク

添削1

  1. 段落の構成を考えよう。一文一文を見ると、しっかり書けているのでもったいないです。 一番、最後のコラムを参考にしてみてください。
  2. 一文の長さに気をつけよう。
    ×日本パラリンピック委員会によると、パラリンピックは、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場であり、共生社会を具現化するための重要なヒントが詰まっている大会と位置づけている。そのような大会だからこそ、ポスターは抽象的でいい。
    〇日本パラリンピック委員会によると、パラリンピックは、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場である。また、共生社会を具現化するための重要なヒントが詰まっている大会と位置づけている。そのような大会だからこそ、ポスターは抽象的でいい。
  3. 主張がはっきりしている点はよいが、その理由に乏しい文となっている。批判ばかりで、理由になっていない部分が多い。小論文は、批評文ではないので気をつけたいところ。

講評1

今回の論からすると、「反発をする人に賛同する。」「配布を中止したのは妥当な判断だと評価する。」として、賛成・同意の立場に立って、論を展開すると、理由や根拠が書きやすかったのかもしれません。

<例>
反発する人のおっしゃる「差別的だ」というのは正当な理由だろう。また、当事者意識に欠けているというのが、私の見解だ。多様性が求められる時代において、当事者の立場に立つ想像力は、大事だからである。私にもこんな経験がある。…

などと展開していくという方法もありました。

<テクニック>
「例示」は、自分の体験を入れることで、自分をアピールすることができるので、自分の体験を入れることのできる題目の場合は、入れていきましょう。

解答例2

私はこのポスターの配布に反対である。なぜなら、私は「両手があってもなくても人間である。」という一文から、障がい者に対するステレオタイプに捉われすぎではないのかと思ったからだ。両手がない人だけが障がい者というわけでもないのに、このポスターでは、あたかも両手がない人が障がい者の代表例として扱われているように感じられる。

現在、障がい者の方たちにとって何の不自由もなく暮らせるように、地域の中でボランティア活動や支援活動、医療の発展など様々な場面で障がい者の方々を支えている。そうした中、私は最近テレビのコマーシャルで障がい者の方が絵を描いているシーンを見たとき、正直私はその絵が何を表しているのかがわからなかったが、その絵は一つの作品として仕上がっており、我々とは違った視点から物事を捉えていたことにとても感動したのを覚えている。このように障がい者はパラリンピックだけでなく日々の些細なことでも私たちに感動や生きる勇気を与えてくれる。このことから私は、“両手がなくても人間”という言葉は “障がい者は人間である”ということを改めて私たちに認識させ、私はそれが無意味なことではないかと思った。また、コピーライターが制作したポスターの中に、「不自由なぶんだけ」とあるが、そもそも、私たちが不自由に感じさせないように努力をするべきだと思う。しかし、想像力や精神力が人並み以上に必要なのは事実なので、私たちは障がいを持った方々をもっと尊重すべきだ。

さらに、健常者と障がい者が平等に生きる世の中で、今私たちがすべきことは、人間とは何かの問題提起よりも、パラリンピックで少しでも多くの障がい者が一体化して楽しめるように、競技施設の充実化やより良い環境で練習や試合ができるように彼らをサポートすることだと思う。

したがって私は、このポスターはパラリンピックのポスターとしてふさわしくないと考える。

添削2

1文が長いところがある。
×そうした中、私は最近テレビのコマーシャルで障がい者の方が絵を描いているシーンを見たとき、正直私はその絵が何を表しているのかがわからなかったが、その絵は一つの作品として仕上がっており、我々とは違った視点から物事を捉えていたことにとても感動したのを覚えている。
〇そうした中、私は最近テレビのコマーシャルで障がい者の方が絵を描いているシーンを見たことがある。正直私はその絵が何を表しているのかがわからなかったが、その絵は一つの作品として仕上がっていた。我々とは違った視点から物事を捉えていたことにとても感動したのを覚えている。

講評2

一定の構成(流れ)もあります。また、自分の意見(提案)があるところ、自分の経験を入れている(具体例)ところは、すこぶる良いです。しかしながら、批評ばかりで、小論文でなく。批評文となっています。反対側の立場の良い点も指摘するなど、視野を広げた考察も必要です。

自分の意見と反対の立場にある人の意見のいい点、悪い点をまず比較してみるのもいいでしょう。そのうえで、「相手のこういうところは、よいが、こういう点でにおいて、改善の余地がある。」という視点を持つ、または、直接表現することもしてみてください。

模範解答例

私はこのコピーを読んで好意的な印象を覚えた。

両手があってもなくても、不自由な分だけ、といった言葉には確かに差別的に聞こえてしまう意味合いが 含まれていると感じられるかもしれない。特に両手がなくてもという言葉はあまりに直接的な表現ではあると同時に NAPOC の一部のいう心に届く表現だと私は感じた。表現をより柔らかくしてより万人受けのするようなコピーを考えるのはとても簡単なことだと思うが、それではそもそもパラリンピックをする意図すらないように思える。パラリンピックとは、身体的な障害を負った人たちがそれでも夢を持って、必死に練習し挑戦してある種人間の限界を超えるところを、私たちに見せてくれる祭典だ。一方で、私たちがその必死に努力する選手たちを見て感動するのはやはりどこかで彼らを哀れんでいるからではないか。

彼らが身体的ディスアドバンテージを抱えているというネガティブなイメージを私たちは無意識に抱き、そこからは想像のできないような彼らの素晴らしいパフォーマンスを見て私たちはそのギャップに心を動かされるのではないか。つまり私たちは意識せずとも身体障害者たちを見下している傾向がある。それは仕方のないことであり、この事実に目を背けてはいけない。そのことを思い出させてくれると同時に、私たちと身体障害者の境界をなくしてくれるものがパラリンピックである。

したがって、私はパラリンピックのキャッチコピーに曖昧で万人受けするような表現は、使われるべきではない と考える。パラリンピックにふさわしい表現とは、私たちに彼ら身体障害者たちへの無意識な哀れみを喚起させ、その上で私たちに彼らへの意識の改変を求めさせるようなものでなければならないだろう。その点において、この NAPOC のコピーライターの考えたこの表現に私は強く心を打たれ、まさにパラリンピックにというものにふさわしいものだと考える。

スポンサーリンク

シェアする

スポンサーリンク