【日本史】鎌倉文化

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【日本史】鎌倉文化についてまとめています。

鎌倉文化

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新仏教

  • 忍性…貧困や難病で苦しんでいる人々のために救済事業を行った。
  • 高弁…華厳宗を学んで旧仏教の復興に尽力した。

浄土宗の開祖法然

念仏を唱えれば極楽浄土に往生できると説いた。その教えは、貴族から庶民まで広がる一方、法然は旧仏教側からの強い非難で流罪に処せられた。法然の著作には『選択本願念仏宗』がある。法然の教えは一般の人々や女性に広く受け入れられ、武家や公家にも普及した。 3

親鸞

親鸞は、法然とともに弾圧を受けて流罪となったが、許された後に『教行信証』を著して浄土真宗を独立させた。 親鸞は悪人であっても阿弥陀仏を信ずる心を起こしさえすれば往生できるとする悪人正機説を唱え、その説を弟子が『歎異抄』に記した。

日蓮

日蓮は『立正安国論』を書いて国難到来を予言したが、秩序を乱すとして弾圧をうけた。法華経のみが正しい教えであるとし、題目を唱えることにより救われると主張した。蒙古襲来を前にした鎌倉で、他宗攻撃の熱烈な辻説法を行い、幕府に捕らえられて流罪となった。

栄西

臨済宗の開祖・栄西は、宋より日本に禅宗をもたらし、『興禅護国論』を著し、また、建仁寺を開いた。

曹洞宗

宋から道元によって伝えられます。北陸地方から各地へと広まります。『正法眼蔵』越前に永平寺を開く。

真言律宗

真言律宗の叡尊とその弟子、忍性は戒律を重んじ、貧民や病人の救済・治療を行った。律宗は、奈良の西大寺に叡尊が出るにおよんで、文殊菩薩への信仰を説き、戒律を重んじ土木事業や非人救済事業に乗り出す教団に生まれ変わった。叡尊の弟子・忍性は、北条重時に招かれて鎌倉の極楽寺を創建して、関東の活動拠点とした。

時宗

時宗の開祖・一遍は、踊念仏によって時宗の普及に努めた。

学問

  • 鎌倉時代につくられた『新古今和歌集』は、後鳥羽上皇の命で編集され、撰者の中には藤原定家・家隆がいる。
  • 平氏の盛衰を描いた軍記物語の傑作である『平家物語』が、琵琶を伴奏として、僧形の芸人影法師によって語られた。
  • 琵琶法師によって平曲として語り継がれたことから、『平家物語』は、文字を読めない人々にも広く普及した。
  • 『保元物語』は、保元の乱を題材に、源為朝の活躍に重きを置いて記された作者不詳の軍記物語である。
  • 源実朝は『金槐和歌集』を残した、鎌倉幕府第3代将軍である。
    『吾妻鏡』は、鎌倉幕府の記録である。
  • 鴨長明は『方丈記』において、変転する世相を無常観にもとづいて描いた。
  • 西行は自身の和歌集『山家集』を残している。
  • 橘成季は『古今著聞集』を編纂した。
  • 阿仏尼は『十六夜日記』を著した
  • 摂関家出身の僧・慈円は、『愚管抄』を著した。その著では、公家の没落と武家の興隆という歴史の移り変わりが道理により説明 されている。

美術

  • 重源は東大寺の再建事業への協力を求めるため、広く募財活動を行った。宋の陳和卿の協力を受けて、東大寺の復興を行った。
  • 東大寺の仏像の制作では、奈良仏師が活躍し、東大寺南大門には、運慶と快慶らの共同作業によって作られた金剛力士像が安置されている。2体の金剛力士像が安置されている東大寺南大門は、簡単な組立てで大きな建物を造りうる大仏様(天様)の建築様式で知られる。
  • 東大寺南大門は、源平の争乱による焼き打ちによって焼失した寺の再建の一環として建立された。
  • 北条時宗が建立した円覚寺は、宋から招かれた際学部元が開山となり、代表的な禅宗様の建物を現在に伝えている。
  • 後白河上皇は平清盛に命じて、東山に華王院(三十三間堂)を造営させた。
  • 『蒙古襲来絵詞(絵巻)』には、元軍に立ち向かう騎馬武者の姿が描かれている。
  • 『平治物語絵巻』は、12世紀半ばの平清盛と源義朝の対立である平治の乱を題材とした。

まとめ

優れた朝廷の文化で貴族は朝廷の文化を見直します。親しみがあり、力強い感じをあたえる文化。

  • 新古今和歌集…後鳥羽上皇の命令で編集されます。藤原定家などの貴族、僧の西行などの和歌を集めます。
  • 方丈記…社会のむなしさを鴨長明が記しました。
  • 東大寺の再建…民衆の寄付を進められまた。
  • 金剛力士像…運慶による力強い彫刻作品です。南大門に置かれました。
  • 平家物語…軍紀物。口語を交えたわかりやすい文章。源平の争乱での武士の活躍を描きました。琵琶法師によって語り伝えられました。
  • 徒然草…兼好法師が生き生きとした民衆の姿を取り上げられました。

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