▶【大好評】大学入試小論文講座の案内はこちら

【高校日本史】桂園時代のポイント

【高校日本史】桂園時代のポイントです。

スポンサーリンク

桂園時代

アメリカで日本人移民排斥運動が発生したことから、南米への日本人移民が急増した。日米間では、日露戦争中に韓国をめぐって桂・タフト協定が結ばれた。

■ 桂・タフト協定
1905年7月桂太郎首相が米国大統領特使タフト陸軍長官と交換した秘密覚書。その内容は、米国のフィリピン統治と日本の韓国(大韓帝国)に対する保護・監督の権を相互に承認すること。また、極東平和のため日・英・米3国の好意ある了解を認めるというもの。

1905年の日比谷公園での国民大会は、日露戦争の講和条約締結に反対して開催された。この国民大会により第一次桂内閣が倒れ、第一次西園寺内閣が成立したが、その後は桂と西園寺が交代で内閣を組織する桂園時代となった。

西園寺公望は公家出身で2回首相となり、大正末期以後はただ一人の元老として首相候補者の推薦にあたって、政界に重きをなした。

日比谷焼き討ち事件

1905年の日比谷公園での国民大会に参加した民衆は、政府高官邸や政府系新聞社を焼打ち(日比谷焼き討ち事件)した。日露戦争開戦から第一次世界大戦開戦までの時期に、日本政府は第3次日韓協約を締結し、韓国軍隊を解散させた。

日比谷焼き討ち事件では、政府は警察や軍隊を出勤させて暴動を鎮圧しましたが、その後も、年では民衆の暴動がしばしばおこった。

コメント

テキストのコピーはできません。