【日本史探究対策問題】南北朝時代の問題です。
【対策問題】南北朝時代の問題
次の問いに答えなさい。
(1)1336年、京都を制圧した足利尊氏が擁立した天皇は誰か。
(2)1336年、入京した足利尊氏が示した政治の大綱を何というか。
(3)光明天皇の系統を引く京都の朝廷を何というか。
(4)北朝の朝廷に対し、吉野に逃れた後醍醐天皇の朝廷を何というか。
(5)南北朝の対立が生んだ、守護・国人などを巻き込んだ全国的動乱を何というか。
(6)南朝の重臣として後醍醐・後村上天皇に仕え、南朝勢力の保持・拡充につとめ、「神皇正統記」の著者としても知られる人物は誰か。
(7)観応年間(1350~52)に幕府内部で起きた足利氏の対立・抗争を何というか。
(8)観応の乱の抗争で対立した足利尊氏の弟と尊氏の執事をあげよ。
【解答】南北朝時代の問題
(1)光明天皇
光明天皇は光厳天皇の弟で、後醍醐天皇の南朝と対立した。
(2)建武式目
(3)北朝
(4)南朝
(5)南北朝の動乱
1336年から92年にわたる動乱の57年間を南北朝時代という。
(6)北畠親房
(7)観応の乱
(8)弟:足利直義、執事:高師直
観応の擾乱は、足利直義と高師直との対立にはじまる。1351年高師直が敗死し、1352年足利直義が鎌倉で尊氏によって毒殺されたことで一応の収束をみた。しかし、その後も尊氏派、旧直義派、南朝勢力が離合集散を繰り返し、南北朝の動乱を長引かせることとなった。
【要点】南北朝時代・建武の新政
14世紀、北条一門への反感が強まる中、後醍醐天皇は倒幕計画を進めた。また、後醍醐天皇の子・護良親王や河内の橋本正成も 討幕の兵を挙げ、鎌倉幕府を悩ませた。後醍醐天皇は、幕府に捕らえられて隠岐に配流された。隠岐に流された後醍醐天皇は、足利尊氏、新田義貞らの協力で鎌倉幕府を倒し、建武の新政を始めた。
- 雑訴決断所…後醍醐天皇の政権が置いた雑訴決断所は、所領関係の裁判を扱った。
- それまでの守護制度が廃止されることはなかった。
- 記録所…天皇親政を開始し、記録所を再興した。
- 中央…摂政・関白が廃止
- 地方…将軍府や鎌倉将軍府などの機関がおかれた。
- 鎌倉将軍府…成良親王を将軍に関東10カ国の統治をおこなった。
- 二条河原落書…文化の担い手の階層が広がったことによって、伝統や故実が軽視されてきた風潮を風刺している。
南北朝の動乱
天皇親政が政権の理想とされたが、幕府政治の復活を期待する声も急速に高まってきた。 足利尊氏は九州から京都をめざして進軍し、湊川で楠木正成の軍勢と戦い、これを討った。1336年、足利尊氏が建武式目を制定し、また、1338年に足利尊氏が征夷大将軍となり、室町幕府がった。
南北朝文化
- 『大平記』…南北鎌倉幕府の滅亡、朝の動乱を描いた軍記物語である。
- 『増鏡』…南北朝時代に著された編年体の史書で、承久の乱での朝廷敗北から後醍醐天皇の京都帰還までが描かれている。
- 『神皇正統記』…大日本は神国なり」と記された『神皇正統記』は、南北朝時代 に南朝の重臣・北畠親房が著した史書で、大義名分論によって南朝の正統性を記している。
- 『極松論』…南北朝時代に著された戦記で、足利氏が政権を獲得するまでの過程が描かれている。
- 『建武年中行事』…後醍醐天皇の著作である。
- 『猫談治要』は、室町時代、一条兼良が将軍足利義尚との問答を記した、政治に関する意見書である。また、一条兼良は、有職故実や古典研究においても著述を残した。
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