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【歴史総合】19世紀の世界

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【歴史総合】19世紀の世界のポイントです。

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近代国家の発展

19世紀前半、ウィーン会議によって正統主義による保守的な 国際秩序が生まれた。しかし、自由主義とナショナリズムの運動を抑えきることはできず、ウィーン体制はやがて崩壊。19世紀後半、ヨーロッパは好況期を迎え、世紀末にかけて各国で大衆の政治参加が進んだ。他方、クリミア戦争をきっかけに 国際関係は大きく変化し、イタリアやドイツの統一が実現した。この間、アメリカ合衆国は発展を続け、その領土は太平洋に達した。工業も躍進し、19世紀末には世界一の工業国となった。

19世紀のイギリス

万国博覧会の開催。二大政党政治や教育制度の充実。世界各地に外交官を派遣し、自由主義を広めました。

19世紀のドイツ

鉄血宰相と呼ばれるビスマルクの下で富国強兵。帝国として統一。重化学工業や医学が発達。

19世紀のアメリカ

自由貿易は奴隷制をめぐって、南北戦争が起こります。リンカーン大統領の指導のもと、合衆国の統一と奴隷の解放を図る北国が勝利。大陸横断鉄道の建設。

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アジア諸地域の動揺

オスマン帝国は19世紀に入り、諸民族の独立運動とヨーロッパ勢力の干渉に苦しめられた。インドではムガル帝国の衰退に乗じて18世紀以降、イギリスが領土支配を進めた。清朝でも19世紀半ばのアヘン戦争以後、対外戦争と内乱が続き、国力が衰えた。

アヘン戦争

1840年から42年、アヘンヲ厳しく取り締まった清をイギリスが攻撃し勝利する。南京条約は、アヘン戦争の結果、イギリスが清に結ばせた不平等条約。

太平天国の乱

1851年から1864年、清でおこった洪秀全を中心とする反乱。貧富の差のない平等な社会を目指した。

インドの大反乱

1857年に起こった、イギリスの支配に対する反乱。インド兵の反乱をきっかけに全国に広がる。イギリスが鎮圧し、インドを植民地とする。イギリスを先頭に欧米列強がアジアに進出した。

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