【高校世界史】近代日本のまとめ

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【高校世界史】近代日本のまとめです。

近代日本

1853年、ペリーは軍艦4隻を率いて浦賀に現れ、日本に対して開国を要求、幕府独裁は崩れた。1867年、徳川慶喜は大政奉還を宣言し、江戸幕府は滅んだ。

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新政府成立

  • 大政奉還…1867年15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返した。
    王政復古の大号令…1867年朝廷が天皇中心とする政治に戻すことを宣言した。
  • 戊辰戦争…1868年旧幕府軍が新政府軍との戦いを始める。翌年、旧幕府が降伏。700年近く続いた武士の政治が終わった

富国強兵

地租改正によって財政を安定させた明治政府は、富国強兵をめざし、徴兵令を施行するとともに、殖産興業に力を入れはじめた。1894~95年の日清戦争で日本は勝ったものの、ロシアなどの三国干渉に対し屈辱的譲歩を強いられた。その後ロシアとの対立が深まり、1904年日露戦争が勃発、日本は国力を消耗しながらも勝利した。

三国干渉

三国干渉は、ロシアがドイツ、フランスと共に、日本に遼東半島の清への返還を勧告し、日本はこれを受けいれて返還。ロシアは、日本が返還した地域の旅順と大連を租借して、根拠地としました、

日露戦争

義和団事件は、清で義和団を中心として外国の勢力排除しようとする事件。日本などの連合国が鎮圧しました。事件後。ロシア満州を占領後、韓国への進出。日本とイギリスは、日英同盟を結んでロシアに対抗。

1930年代

第一次世界大戦が終わると、国際連盟の常任理事国の一つ ともなり、国際的発言権を増した。1931年の満州事変以後は国 際的に孤立化し、1937年から始まった日中戦争は長期化・泥沼化していった。軍部は日中戦争の行き詰まりを打開するため、物資を求めてフランス領インドシナへ兵を進め、英米などによる経済封鎖に遭遇。1941年ついに英米に宣戦し、太平洋戦争に突入した。

近代日本の年号

  • 1853年…アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー、浦賀に来航
  • 1858年…井伊直弼加大老就任(日米修好通商条約締結)
  • 1860年…桜田門外の変(井伊直弼暗殺)
  • 1867年…大政奉還→王政復古の大号令
  • 1869年…版籍奉還
  • 1871年…廃藩置県(府知事・県令を任命)
  • 1889年…大日本帝国憲法発布
  • 1890年…第一回帝国議会開催
  • 1894年…日清戦争
  • 1895年…下関条約締結(遼東半島獲得→三国干涉)
  • 1899年…大日本帝国憲法発布
  • 1901年…八幡製鉄所操業開始
  • 1902年…日英同盟締結
  • 1904年…日露戰争勃発
  • 1905年…ポーツマス条約締結(北緯50度以南の樺太を得る)
  • 1910年…韓国併合
  • 1914年…第一次世界大戦に参戦
  • 1915年…中国に二十一カ条要求
  • 1931年…柳条湖事件→滿州事変
  • 1937年…盧溝橋事件→日中戰争勃発
  • 1941年…真珠湾奇襲攻擊(太平洋戦争勃発)
  • 1945年…ポツダム宣言を受諾

太平洋戦争(第2次世界大戦)

政府は、日中戦争が長期化すると、国家総動員法を制定します。また、1940年ころから、近衛文麿が新体制運動を推進し、民衆の統合を図りました。戦争協力体制を整えるため大日本産業報国会を結成。1939年には、アメリカから日米通商航海条約の破棄を通告され、1940年に失効。これにより、資源、資材の確保が困難になります。一方で、1940年日独伊三国同盟が結ばれ枢軸体制が強化され、アメリカとの対立が決定的に。

日本のアジアに対しての侵略が南方まで及ぶと、アメリカ、イギリス、中国、オランダは、ABCD包囲陣を強化して日本に対抗。日中戦争の長期化のさなか、1939年には、ノモンハンで関東軍とソ連軍との2度目の軍事衝突が起きた。日本軍の中国からの撤退などをめぐりアメリカとの交渉が暗礁にのりあげ、近衛文麿内閣は総辞職し、東条英機が首相へ。日本は、真珠湾攻撃とほぼ同時にマレー半島に上陸し、約半年ほどで東南アジア・西太平洋の広大な地域を占領した。

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