高校世界史【近代史の要点】ここだけは押さえる!

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【高校世界史】近代のまとめです。

フランス革命

近代の幕開けとなったフランス革命は、旧制度を打倒し、政治的発言力を有産市民層にもたらした。共和政はナポレオンの帝政に席を譲るが、その支配はヨーロッパ各地で改革をうながした。フランスで民衆が立ち上がり、絶対王政が倒された。

  • 絶対王政…国が絶対的な権力を握って行う政治。フランス革命は、1789年7月、絶対王政への不満から各地で反乱がおこる。
  • 人権宣言…フランス革命中に出された自由・平等・人民主権などをうたった宣言。
  • ナポレオン…革命後の政治で権力を握り、1804年に皇帝となる。ヨーロッパでの大部分支配する。1815年に敗退。ナポレオン法典は、法の基の平等・経済活動の自由などが定められる。ナポレオンのヨーロッパ支配により、自由・平等の革命の理念が広まった。

国王の国民議会への弾圧に対して、1789年7月14日パリの民衆がバスチーユ牢獄をおそいフランス革命が始まりました。

  • 旧制度(アンシャン=レジーム)…聖職者(第一身分)・貴族(第二身分)が免税などの特権を持ち、平民(第三身分)を圧迫。
  • 革命の勃発…ルイ16世の財政再建策失敗→1789年三部会招集→国民議会と改称し、球戯場の誓いにより憲法制定に着手→ルイ16世は武力で議会を圧迫→89年7月14日パリ市民はバスティーユ牢獄を襲撃。

市民階級の間には古い社会体制を批判し、人間の解放をめざす啓蒙思想が広まっていきました。またアメリカの独立も、フランスの市民階級に大きな刺激をあたえました。

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立憲君主政から共和政へ

  • 立憲君主政…封建的特権の廃止を宣言、人権宣言→ラ=ファイエット・ ラボーらの指導下、91年憲法制定。国王は国外逃亡失敗で国民の支持を 失う。1791年立法議会成立→92年ジロンド派(有産市民代表)内閣はオーストリアに宣戦したが戦況不利→祖国の危機に全国から藤重兵結集。
  • 共和政…1792年8月 ジャコバン派指導下にパリ民衆・義勇兵が王宮を襲撃→立法議会は王権を停止→男子普通選挙による国民公会が成立し、王政廃止・共和政を宣言。1793年1月ルイ16世処刑。

恐怖政治と総裁政府

  • 恐怖政治…イギリス首相ピットの提唱で第1回対仏大同盟結成→ジャコバン派が政権をにぎりロベスピエールの恐怖政治。封建的特権の無償廃止。革命暦。
  • 総裁政府…1794年テルミドール9日のクーデタでロベスピエール処刑。1795年穏健共和派の総裁政府成立→経済が混乱し、不安定。

ナポレオン帝国

  • 統領政府…1799年第2回対仏大同盟の成立→ナポレオンがブリュメール18日のクーデタでみずから第一統領となり独裁権をにぎる。
  • ナポレオン帝国…1802年イギリスと和約、1804年ナポレオン法典を発布。皇帝となる。第3回対仏大同盟→トラファルガーの海戦。ライン同盟の結成 (神聖ローマ帝国解体)。1805年アウステルリッツの三帝会戦→1806年大陸封鎖令→1807年ティルジット条約。1812年ロシア遠征失敗→ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)に敗北→ブルボン朝復活→1815年ナポレオンは復位したがワープ ルローの戦いで敗北。

ナポレオン法典は、法の基の平等・経済活動の自由などが定められる。ナポレオンのヨーロッパ支配により、自由・平等の革命の理念が広まった。

近代国家の発展

19世紀前半、ウィーン会議によって正統主義による保守的な 国際秩序が生まれた。しかし、自由主義とナショナリズムの運動を抑えきることはできず、ウィーン体制はやがて崩壊。19世紀後半、ヨーロッパは好況期を迎え、世紀末にかけて各国で大衆の政治参加が進んだ。他方、クリミア戦争をきっかけに 国際関係は大きく変化し、イタリアやドイツの統一が実現した。この間、アメリカ合衆国は発展を続け、その領土は太平洋に達した。工業も躍進し、19世紀末には世界一の工業国となった。

19世紀のイギリス

万国博覧会の開催。二大政党政治や教育制度の充実。世界各地に外交官を派遣し、自由主義を広めました。

19世紀のドイツ

鉄血宰相と呼ばれるビスマルクの下で富国強兵。帝国として統一。重化学工業や医学が発達。

19世紀のアメリカ

自由貿易は奴隷制をめぐって、南北戦争が起こります。リンカーン大統領の指導のもと、合衆国の統一と奴隷の解放を図る北国が勝利。大陸横断鉄道の建設。

アジア諸地域の動揺

オスマン帝国は19世紀に入り、諸民族の独立運動とヨーロッパ勢力の干渉に苦しめられた。インドではムガル帝国の衰退に乗じて18世紀以降、イギリスが領土支配を進めた。清朝でも19世紀半ばのアヘン戦争以後、対外戦争と内乱が続き、国力が衰えた。

アヘン戦争

1840年から42年、アヘンヲ厳しく取り締まった清をイギリスが攻撃し勝利する。南京条約…アヘン戦争の結果、イギリスが清に結ばせた不平等条約。

太平天国の乱

1851年から64年、清でおこった洪秀全を中心とする反乱。貧富の差のない平等な社会を目指した。

インドの大反乱

1857年に起こった、イギリスの支配に対する反乱。インド兵の反乱をきっかけに全国に広がる。イギリスが鎮圧し、インドを植民地とする。イギリスを先頭に欧米列強がアジアに進出した。

国際対立の激化とは

列強と帝国主義が盛んになり、欧米で資本主義が急速に発展。資本家が経済を支配。列強は、イギリス・ドイツ・アメリカ・フランス・ロシアであり、帝国主義をとり、列強の国々は、資源た市場を求めてアジアやアフリカに進出。軍事力によって植民地化。

  • ビスマルク体制…フランスの孤立化をはかる。オーストリア・イタリアと三国同盟。三帝同盟→ロシアと再保障条約。
  • ビスマルク引退後…ヴィルヘルム2世による世界政策。3B政策推進。
  • ロシア…フランスに接近→露仏同盟。
  • イギリス…「光栄ある孤立」を捨て、日英同盟。英仏協商・英露協商により三国協商が成立→三国同盟と対立。
  • バルカン問題…ブルガリア独立。オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合。パン=スラヴ主義とパン=ゲルマン主義の対立。

日英同盟とは

1902年ロシアに対抗する日本と中国の利権拡大を狙うイギリスが結んだ同盟。

ロシア革命

第一次世界大戦が長引くとロシアで戦争や皇帝の専制による民衆の不満が爆発。「パン・平和・自由」を求めて、労働省のストライキや兵士の反乱が続き、代表会議=ソビエトが各地で形成。

  • 二月革命(三月革命)…1917年ペトログラードのストライキ→労働者・兵士がソヴィエトを結成→ニコライ2世退位、臨時政府の成立。
  • 臨時政府…社会革命党・メンシェヴィキが主力。ドイツとの戦争を継続。
  • 十月革命(十一月革命)…レーニンのボリシェヴィキがケレンスキーを倒す。
  • ボリシェヴィキ独裁…ドイツと単独講和(ブレスト=リトフスク条約)。ロシア共産党と改称。首都モスクワ。対ソ干渉戦争に対し、赤軍を組織し、戦時共産主義を断行。1919年コミンテルン(共産主義インターナショナル、第3インターナショナル)を設ける。1922年ソヴィエト連邦の成立。

三月革命とは

三月革命は、1917年3月8日の首都ペトログラードのストライキ・デモから発生した革命。ペテルブルクは、開戦後ドイツ風の名称をきらってペトログラードに改称れていた。さらに第一次世界大戦後はレニングラードと改められた。

  • ソヴィエト…革命の推進力となった。労働者・兵士の代表による評議会。社会準命党とメンシェヴィキはソヴィエト内で多数派を構成し、立憲民主党を中心とする臨時政府に協力した。しかし、一方でこれは臨時政府とソヴィエトという、不安定な二重権力の状態であった。
  • ニコライ2世…二月革命で退位した。ロマノフ朝最後の皇帝。
  • ケレンスキー…臨時政府に入閣し、のち首相として戦争継続を指導した社会革命党右派の指導者。
  • 四月テーゼ…レーニンが「すべての権力をソヴィエトへ」と主張した、ボリシェヴィキの革命基本方針。

十月革命とは

十月革命とは、1917年11月、レーニン・トロッキーらが武装蜂起し、社会主義政権を樹立した革命。

  • 「平和に関する布告」…1917年11月人民委員会議が公布した、無併合・無償金・民族自決の和平を訴えたもの。同時に、土地私有権の廃止を宣言した「土地に関する布告」も発表された。
  • 憲法制定議会…1917年社会革命党が第一党となった。普通選挙によるロシア初の議会。このため、レーニンは1918年1月武力で議会を閉鎖し、やがてボリシェヴィキの一党独裁政治を樹立した。
  • ブレスト=リトフスク講和条約…1918年3月、ソヴィエト政権がドイツと結んだ講和条約。
  • ロシア共産党…1918年3月、ボリシェヴィキが改称した政党。
  • 対ソ干渉戦争…1918年4月から1922年末に、連合国がソヴィエト政権打倒のために行った軍事干渉。イギリス・フランス・アメリカ・日本などが、国内の反革命政権を支援し、チェコ兵救出を口実にヨーロッパやシベリアに出兵した。
  • 赤軍…反革命軍(白軍)・外国干渉軍と戦ったソヴィエト政権の軍隊。
  • チェカ(非常委員会)…反革命派の取り締まりのため、1917年12月に設置された機関。
  • コミンテルン(第3インターナショナル) …世界革命をめざして、1919年3月にモスクワに創設された組織。
  • ソヴィエト=ポーランド戦争…1920年ポーランドがウクライナに侵入し、領土を拡大した戦争。
  • 戦時共産主義…干渉戦争や内戦に対抗するため、ソヴィエト政権が強行した1918年から1921年の経済政策。全企業の国営化、穀物の強制徴発、食料配給制などを実施したが、生産意欲の喪失と不満から、農工業生産は激減した。
  • ネップ(新経済政策・NEP)…生産力の回復のため、レーニンの提起で1921年から採用された経済政策。中小企業の私的営業を許し、余剰生産物の自由販売を認めるなど、一定範囲内で資本主義的な営業を復活させる政策であった。
  • ロシア、ウクライナ・ベラルーシ(白ロシア)、ザカフカース)…1922年12月に成立したソヴィエト社会主義共和国連邦を構成した四つの共和国をあげよ。
  • ラパロ条約…1922年、ドイツがソ連を最初に承認した条約。その後1924年にはイギリス・イタリア・フランスがソ連を承認した。列強はではアメリカがもっとも承認が遅く1933年であった。

帝国主義とアジアの民族運動

19世紀末になると、欧米先進諸国では、第2次産業革命が進行し、大企業が市場を支配する傾向があらわれた。欧米列強は、アジア・アフリカ、さらに太平洋地域につぎつぎと植民地や勢力圏を設定した。こうして帝国主義の時代が始まった。一方、帝国主義国の圧力にさらされたイスラム世界やインド、中国、ラテンアメリカ地域では、政治改革や社会・経済の近代化を推進し、外圧に対抗して自立しようとする運動が起こった。その中から、辛亥革命やメキシコ革命など、20世紀の民族主義運動を先導する潮流があらわれた。

辛亥革命

  • 孫文…中国の革命家。三民主義を唱え中国の革命の中心人物となる。
  • 辛亥革命…1911年全国広まった近代国家の建設を目指す革命運動。多くの省から清から独立を宣言。
  • 中華民国…1912年孫文が臨時大総統になり建国。アジアで最初の共和国。首都は南京。袁世凱が孫文とともに清の皇帝を退位させ、清が滅亡する。辛亥革命で清が滅亡し、中華民国が成立する。

二つの世界大戦

帝国主義諸国間の覇権争いから始まった第一次世界大戦は、長期化して全国民を巻きこむ総力戦となった。ロシアの専制体制はこれに対応できず、ロシア革命が起こった。1919年のパリ講和会議では、ヨーロッパでの民族自決権が認められ、国際連盟を中心とするヴェルサイユ体制が成立した。1020年代、西ヨーロッパ諸国やアメリカを中心に国際協調主義が進展し、20年代半ばには国際関係は一応の安定をみた。しかし1929年、世界恐慌が始まると、日本・ドイツ・イタリアの後発資本主義国は、全体主義体制をとって、他国への侵略による危機克服に向かい、第二次世界大戦が引き起こされた。

第一次世界大戦

第一次世界大戦のきっかけは、サライェヴォでオーストリアの皇太子夫妻がセルビア人の青年に暗殺されたことで始まります。ドイツ、オーストリア、トルコなど同盟国側とイギリス、フランス、ロシアの連合国側が戦う。日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦。

  • 三国同盟…同盟関係にあったドイツとオーストリアにイタリアが加わって結ばれた同盟。
  • 三国協商…三国同盟に対抗し、ロシアとフランスが同盟を結ぶ。イギリスもロシアと協商を結んだ。
  • サライェヴォ事件…1914年オーストリア皇位継承者夫妻の暗殺→塊がセルビアに宣戦。
  • 大戦…1914年列強が参戦。同盟国はドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアの連合国は三国協商諸国・日・伊など27か国→ドイツの無制限潜水艦作戦→ 1917年アメリカが連合国側に参戦。1918年革命ロシアはドイッと単独講和。
  • 終戦…1918年ドイツ革命で皇帝退位→共和国が成立し、連合国と休戦。

日本の対応

イギリスとの同盟にもとづき、1914年に対独参戦した国。1915年日本の大隈内閣は、中国の袁世凱政府に二十一カ条要求を行った。

<二十一カ条要求の内容一部>

➊山東省にあるドイツの権益を受けつぐこと
➋旅順・大連の租借期限や南満州鉄道の利権の期限延長
➌南満州や内モンゴルでの日本の利権の拡大
➍日本人を政治・財政・軍事顧問として中国政府に採用すること

イタリアの対応

イタリア三国同盟に属しながら当初は中立を保ち、のち秘密条約にもとづいて連合国側で参戦した国。イタリアは「未回収のイタリア」問題で、オーストリアと対立していた。

アメリカ合衆国の対応

無制限潜水艦作戦を理由として、1917年4月に参戦した国。1918年にはブルガリア・オスマン帝国・オーストリアが降伏した。

第一次世界大戦中の各地の戦い

  • マルヌの戦い…ドイツ軍の進撃をフランス軍が撃破した、西部戦線における1914年9月の戦い。
  • タンネンベルクの戦い…ドイツ軍がロシア軍を撃破した、東部戦線における1914年8月の戦い。
  • ソンムの戦い…連合国側が大攻勢をかけたが決定的成果が得られず、最大の死傷者を出した1916年6月から11月の戦い。双方とも塹壕を掘り守りを固めたため、戦線は膠着状態におちいった。
  • ポール軍港の水兵反乱…ドイツの敗戦が濃厚になるなか、1918年11月、出撃命令を拒否した水兵がおこした反乱。これを契機にドイツ革命がおこり, 皇帝ヴィルヘルム2世はオランダへ亡命し、ドイツ共和国が成立した。

第一次世界大戦の特徴

  • 戦車・毒ガス・潜水艦・飛行機…第一次世界大戦で使用された、おもな新兵器。
  • 総力戦体制…戦争が長期化し、生産力・経済力のすべてを総動員するために、各国がとった戦時体制。女性を軍需工場に動員し、食料を配給制にするなどの体制がとられ、経済・国民生活に対する国家の指導力が増大した。
  • 無制限潜水艦作戦…1917年にドイツがとった交戦水域に入った船舶への無差別・無制限な撃沈作戦。
  • 休戦条約締結…1918年11月11日、共和国政府が行った政策。

ヴェルサイユ体制

1918年11月にわたる第一次世界大戦が終結すると、1919年1月、戦勝国27か国の代表がフランス外務省に集まってパリ講和会議が開催された。しかし、この会議に敗戦国ドイツなどの参加は認められなかった。

  • ヴェルサイユ条約…1919年連合国はドイッと講和→米大統領ウィルソンの十四か条の原則はイギリス・フランスなどの利鷹でゆがめられる。
  • ドイツ…巨額の賠償金、軍備制限 アルザス・ロレーヌの割譲(仏へ)。
  • オーストリア=ハンガリー帝国…解体して、オーストリア・ハンガリー・チェコスロヴァキア。セルビアはユーゴスラヴィアへ。ポーランド独立。

民族自決主義は、いかなる民 族も他民族に支配されず、平等と独立を認められるという考えである。また、ベルサイユ条約締結後の民族自決主義と国際 調にもとづく国際秩序を「ベルサイユ体制」という。

国際協調と軍備縮小

ウィルソン大統領が14か条の一つとして提案した国際連盟が、1920年に設立された。これは、国際平和の確立と維持をはかるための世界最初の国際平和機構だった。

  • 国際連盟…1920年ウィルソンの提唱。本部ジュネーヴ。アメリカは不参加。
  • ワシントン会議…1921~22年、主力艦の保有制限、四か国・九か国条約。
  • ロカルノ条約…1925年ラインラント非武装など確認。ドイツは国際連盟加入。
  • 不戦条約…1928年、米仏の提唱。
  • ロンドン軍縮条約…1930年、補助艦の保有制限。

第一次世界大戦後の欧米諸国

アメリカ

連合国へ物資を供給→債務国から債権国へ→資本主義世界の山心。大資本家支援の共和党政権が続く。女性参政権の実現。

イギリス

1924年初の労働党内閣(首相マクドナルド)。1928年男女平等の書通選挙が実現。イギリス連邦。

フランス

1923年ルール占領失敗→左派連合の対独協調(外相ブリアン)。フランスやスペインでは、ファシズムや戦争に反対する人々が、民主主義を守るために統一戦線(人民戦線)を結成し、1936年に、スペイン(2月)とフランス(6月)で人民戦線内閣を成立させた。

ドイツ

社会民主党政権がヴァイマル憲法制定。ルール占領でインフレ進行。シュトレーゼマン内閣の新通貨発行、ドーズ案で経済再建。その後、ヒトラーを党首とするナチスはベルサイユ条約の破棄、ユダヤ人の排斥を唱え、大資本家や軍部の援助を受け、国民の支持を得て力をのばして、1932年の総 選挙で第1党に躍進した。

イタリア

ムッソリーニのファシスト党が政権。ローマ教皇庁独立承認。ムッソリーニは世界恐慌の前後、ファシスト党による独 裁を固め、農業の増産をめざす干拓・入植事業 電機・化学などの新工業の育成と経済自立政策をおし進めた。

ソ連

1921年から新経済政策(ネップ)。5か年計画。スターリン履法。レーニンのあとをついで指導者になったスターリンが共産党の独裁体制を指揮しました。重工業中心の工業化と農業の集団化を強行したを五か年計画により成長を遂げる。国の方針に対する反対派を弾圧して、多くの人を処刑する。

第二次世界大戦

第二次世界大戦は、ドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだ上でポーランドでの侵攻開始したのがきっかけで起こります。イギリス・フランスがドイツに宣戦布告します。第二次世界対戦始まり戦争が拡大していきます。

  • イタリア…ドイツが優勢と見るとドイツ側で参戦。1940年日独伊三国同盟を結び、関係を強化する。
  • アメリカ…1941年アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が大西洋憲章発表。ファシズムとの対決姿勢を明らかにする。
  • その他の国々…ドイツの過去の占領政策に対してレジスタンスト言われる抵抗運動を行った。

欧米諸国でファシズムの枢軸国と反ファシズムの連合国との戦いという構図が明らかになる。

近代アメリカ史

独立達成から19世紀前半に至る期間は、アメリカ合衆国の資本主義形成期であった。対外的にはモンロー宣言に代表される孤立主義を掲げながら、国内では西部開拓を進めた。この開拓の進行にともない、南部と北部の利害対立が激化、南北戦争が勃発した。

南北戦争
自由貿易は奴隷制をめぐって、南北戦争が起こります。リンカーン大統領の指導のもと、合衆国の統一と奴隷の解放を図る北国が勝利。大陸横断鉄道の建設。

独占資本主義形成

19世紀後半から20世紀初頭にかけては、独占資本主義形成の段階であった。西部開拓の終了は、帝国主義的進出を必然たらしめ、カリブ海・太平洋への進出、中国に対する門戸開放宣言となってあらわれた。

2つの大戦

第一次世界大戦は、アメリカ経済に空前の窓栄をもたらしたが、外交的には再び孤立正義が復活し、国際連盟にも加入しなかった。1929年の世界恐慌は、アメリカ経済に大打撃を与えただけでなく、ヨーロッパの経済復興に多大の衝撃を与えた。そして、恐慌を乗り切リに狂奔する列国は、ふたたび第二次世界大戦の悲劇を引き起した。

世界恐慌
世界恐慌は、1929年、アメリカのニューヨークでの株価暴落をきっかけに起こった世界的な経済の混乱。

  • ブロック経済…イギリス・フランスがとった対応で、植民地と本国との貿易を拡大し、他国からの商品に対する関税を高くする経済政策。
  • ニューディール政策…アメリカの対応でルーズベルト大統領の下で積極的な公共事業。農業や工業の生産調整、労働組合の保護を推し進めた。

ソ連は、それ以前からの経済計画(5カ年計画)を行っていたので世界恐慌の影響を受けなかった。各国は、それぞれの方法で経済の復興を目指した。

近代アメリカ史の年号

  • 1812年…米英戦争(~14)
  • 1823年…モンロー宣言(米大陸諸国 への干渉を拒否)
  • 1829年…第7代、ジャクソン大統領就任
  • 1861年…南部11州、アメリカ連合国を結成、南北戦争(~65)
  • 1863年…リンカーン大統領、奴隷解放宣言
  • 1869年…大陸横断鉄道開通
  • 1898年…米西戦争(原因はキューバの対スペイン独立反乱)/ハワイ併合
  • 1899年…米国務長官ジョン=ヘイ、中国の門戸開放・機会均等を提唱
  • 1918年…ウィルソン大統領、十四カ条を発表
  • 1921年…ワシントン会議はじまる(~22)
  • 1921年…ドーズ案発表(独の賠償支払方法を修正)
  • 1929年…ヤング案成立(独の賠償、358億金マルクに再修正)/世界恐慌始まる
  • 1931年…フーヴァー=モラトリアム開始
  • 1933年…F=ローズヴェルト大統領就任(ニューディール政策開始)
  • 1935年…ワグナー法可決
  • 1941年…太平洋戦争始まる
  • 1942年…ミッドウェー海戦(日本軍を破る)
  • 1945年…米・英・ソ首脳によるヤルタ会談

近代日本

1853年、ペリーは軍艦4隻を率いて浦賀に現れ、日本に対して開国を要求、幕府独裁は崩れた。1867年、徳川慶喜は大政奉還を宣言し、江戸幕府は滅んだ。

新政府成立

  • 大政奉還…1867年15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返した。
    王政復古の大号令…1867年朝廷が天皇中心とする政治に戻すことを宣言した。
  • 戊辰戦争…1868年旧幕府軍が新政府軍との戦いを始める。翌年、旧幕府が降伏。700年近く続いた武士の政治が終わった

富国強兵

地租改正によって財政を安定させた明治政府は、富国強兵をめざし、徴兵令を施行するとともに、殖産興業に力を入れはじめた。1894~95年の日清戦争で日本は勝ったものの、ロシアなどの三国干渉に対し屈辱的譲歩を強いられた。その後ロシアとの対立が深まり、1904年日露戦争が勃発、日本は国力を消耗しながらも勝利した。

三国干渉

三国干渉は、ロシアがドイツ、フランスと共に、日本に遼東半島の清への返還を勧告し、日本はこれを受けいれて返還。ロシアは、日本が返還した地域の旅順と大連を租借して、根拠地としました、

日露戦争

義和団事件は、清で義和団を中心として外国の勢力排除しようとする事件。日本などの連合国が鎮圧しました。事件後、ロシア満州を占領後、韓国への進出。日本とイギリスは、日英同盟を結んでロシアに対抗。

1930年代

第一次世界大戦が終わると、国際連盟の常任理事国の一つ ともなり、国際的発言権を増した。1931年の満州事変以後は国 際的に孤立化し、1937年から始まった日中戦争は長期化・泥沼化していった。軍部は日中戦争の行き詰まりを打開するため、物資を求めてフランス領インドシナへ兵を進め、英米などによる経済封鎖に遭遇。1941年ついに英米に宣戦し、太平洋戦争に突入した。

近代日本の年号

  • 1853年…アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー、浦賀に来航
  • 1858年…井伊直弼加大老就任(日米修好通商条約締結)
  • 1860年…桜田門外の変(井伊直弼暗殺)
  • 1867年…大政奉還→王政復古の大号令
  • 1869年…版籍奉還
  • 1871年…廃藩置県(府知事・県令を任命)
  • 1889年…大日本帝国憲法発布
  • 1890年…第一回帝国議会開催
  • 1894年…日清戦争
  • 1895年…下関条約締結(遼東半島獲得→三国干涉)
  • 1899年…大日本帝国憲法発布
  • 1901年…八幡製鉄所操業開始
  • 1902年…日英同盟締結
  • 1904年…日露戰争勃発
  • 1905年…ポーツマス条約締結(北緯50度以南の樺太を得る)
  • 1910年…韓国併合
  • 1914年…第一次世界大戦に参戦
  • 1915年…中国に二十一カ条要求
  • 1931年…柳条湖事件→滿州事変
  • 1937年…盧溝橋事件→日中戰争勃発
  • 1941年…真珠湾奇襲攻撃(太平洋戦争勃発)
  • 1945年…ポツダム宣言を受諾

太平洋戦争

政府は、日中戦争が長期化すると、国家総動員法を制定します。また、1940年ころから、近衛文麿が新体制運動を推進し、民衆の統合を図りました。戦争協力体制を整えるため大日本産業報国会を結成。1939年には、アメリカから日米通商航海条約の破棄を通告され、1940年に失効。これにより、資源、資材の確保が困難になります。一方で、1940年日独伊三国同盟が結ばれ枢軸体制が強化され、アメリカとの対立が決定的に。

日本のアジアに対しての侵略が南方まで及ぶと、アメリカ、イギリス、中国、オランダは、ABCD包囲陣を強化して日本に対抗。日中戦争の長期化のさなか、1939年には、ノモンハンで関東軍とソ連軍との2度目の軍事衝突が起きた。日本軍の中国からの撤退などをめぐりアメリカとの交渉が暗礁にのりあげ、近衛文麿内閣は総辞職し、東条英機が首相へ。日本は、真珠湾攻撃とほぼ同時にマレー半島に上陸し、約半年ほどで東南アジア・西太平洋の広大な地域を占領した。

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