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【高校日本史】公武合体と尊王攘夷運動の要点ポイント

【高校日本史】公武合体と尊王攘夷運動の要点ポイントです。

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公武合体と尊王攘夷運動

  • 尊王攘夷運動…天皇を結ぶ尊王論と外国の輸出を排除しようとする攘夷論が結びついて尊王攘夷論運動が起こりました。
  • 安政の大獄…大老の井伊直弼が幕府に反対した大名や武士、公家らは処罰。吉田松陰らを処刑。
  • 桜田門外の変…安政の大獄に反発した水戸藩の浪士たちが井伊直弼を暗殺。幕府は朝廷との融和を図る公武合体政策を進めました。
公武合体…幕府が朝廷との伝統的権威と結びつくことで幕政を維持しようとするつ考え方

開国の影響

1840年から1842年起こった戦争でアヘン戦争という。アヘンを厳しく取り締まった清をイギリスが攻撃し勝利する。清がイギリスに敗れたことは、幕府や諸藩に大きな衝撃を与え、特に西洋の軍事科学技術導入の必要性が広く認誠され始めた。このアヘン戦争をきっかけに幕府は鎖国政策の変更を命じることとになる。

  • 南京条約…アヘン戦争の結果、イギリスが清に結ばせた不平等条約。
  • 太平天国の乱…1851年から1864年、清でおこった洪秀全を中心とする反乱。貧富の差のない平等な社会を目指した。

日本の開国後はイギリス・フランスなどからも学術が導入され、西洋の学問を学ぶ洋学という言葉が定着した。

佐久間象山の思想

佐久間象山(1811年から1864年没) は朱子学を学んでいたが、アヘン戦争に衝撃を受けて海防の重要性を痛感した。そして洋学の知識を吸収するとともに、西洋砲術を修得し、砲術や兵学の塾を開いた。佐久間象山は、「東洋道徳、西洋芸術」と説いた。「芸術」とは「技術」のことで、東洋の伝統的精神を基本としながら 西洋の科学技術を積極的に取り入れるという姿勢を表している。これと同様の考え方を表す語に「和魂洋才」がある。和魂洋才の理念は、幕末から明治にかけて西洋文明を受容する1つの指針となった。

吉田松陰の教え

長州(山口県)藩士であった吉田松陰(1830年からから1859年)は、佐久間象山の下で学び、対外危機意識を深めた。黒船で海外渡航を企てるが失敗し、郷里で誰値の身となった。その間、叔父が開設した松下村塾で高杉晋作・伊藤博文ら多数の志士や明治の指導者を育てたが、安政の大獄で刑死した。吉田松陰は「一君万民論(いっくんばんみんろん)」を唱え、藩の枠をこえてすべての国民が天皇の下に結集し、「誠」をもつて天皇に忠節を尽くすべきだと説き、尊王・討幕運動に大きな影響を与えた。

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