【日本史】国風文化

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【日本史】国風文化についてまとめています。

国風文化

『土佐日記』以後、宮廷女性らによって多くのかなの日記が作られたが、『和泉式部日記』もその一つであった。平安時代中期以降、転換期の歴史意識を反映する、和文体の歴史物語が作られた。 子孫に先例を学ばせるために『小右記』などの日記が書かれた。

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文字

国風文化の時代になっても、男性貴族は漢字を使用した。片仮名の使用は、漢字の一部を表音記号として用いたことに始まる。

文学作品

国風文化では和歌が社交の手段としてもてはやされ、『古今和歌集』が編纂された。 貴族生活を素材に、『伊勢物語』や『宇津保物語』、摂関政治が全盛期を迎えた頃には、清少納言によって、宮廷貴族の生活を題材とした『枕草子』が記された。平安時代には光源氏を主人公とする、理想的な貴族の生活を描いた『源氏物語』が生まれた。

宗教

平安時代には、在来の神々は仏の仮の姿であるとする本地垂迹説が唱えられた。10世紀半ばには京中で空也が極楽往生の教えを説き、市聖と称された。摂関政治が全盛期を迎えた頃、末法思想の広がりのなかで、源信は『往生要集』を記して往生の方法と浄土教の教義を説き、当時 の貴族に大きな影響を与えた。

末法思想

平安時代中・後期に末法思想が広がった背景には、疫病の流行や災害があった。 国風文化が花開いた時代には、貴族は陰陽道を重んじたため、その日常生活には方違や物忌などの慣習が広まった。国民の祝日であるこどもの日は、端午の節句にその起源をもつ。

建築物

  • 10世紀以降、浄土教が貴族の間に浸透した。藤原道長が建てた法成寺の阿弥陀堂や藤原頼通が建てた平等院鳳凰堂。
  • 醍醐寺五重塔初層の内部には曼荼羅が描かれ、密教的空間が構成されている。
  • 藤原時代の貴族の住宅である寝殿造は、中央部に寝殿(正殿) を持ち、透渡殿によって対屋や釣殿と結ばれていた。
  • 阿弥陀堂の代表的な遺構である平等院鳳凰堂が、藤原頼通によって建立された。

まとめ

国風文化は、日本の風土や生活に合った独自の文化。主に平安時代。平安時代は、桓武天皇が、都を平安京(現在の京都)に移し、政治を立て直す。これ以後の約400年を平安時代といいます。坂上田村麻呂は、東北地方の蝦夷をおさえるために征夷大将軍に任命されます。

  • 仮名文字…漢字を変形させ、日本語の発音を表す。
  • 浄土信仰…念仏を唱え、阿弥陀如来にすがる。
  • 平等院鳳凰堂…藤原頼道が宇治に建てた阿弥陀堂。

あわせて確認

以上が、【日本史】国風文化となります。

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