【日本史】享保の改革(徳川吉宗の政治)

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【日本史】享保の改革(徳川吉宗の政治)についてまとめています。

享保の改革

徳川吉宗の時代には諸物価の中で米価が相対的に安くなり、俸緑米を売って生活する武士はますます困窮した。享保改革の時期に、徳川吉宗が登用した青木昆陽が甘藷の栽培にあたったり、オランダ語を学んだりした。

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土地改革

幕府は18世紀前半、薬用として朝鮮人参や、凶荒用食物として甘藷(さつまいも)などの栽培を奨励した。幕府は享保の改革で、定免法を採用し、年貢量は増加した。

定発法は一定の年貢率で本年貢を課すものであるが、それは永続的なものではなく一定の年限を設けるのが普通であった。町人請負新田などの新田開発が奨励された。徳川吉宗により町奉行に登用された大岡忠相は、市政改革を行うとともに、裁判の基準となる法典の制定などにあたった。

享保改革の時期に幕府は施政に関する意見や役人の不正に対する市民への投書箱である、目安額を設置した。実学奨励のために、キリスト教関係以外の漢訳洋書の輸入を認めた。大名は、財政窮乏に際して、家臣に対し半知の手段をとることがあった。金銀貸借についての争いが続発したため、幕府は相対済し令を出管借に関する訴訟を受け付けずに当事者間で解決させることにした。

財政政策

財政が悪化した江戸幕府では、収入増加の政策が推進された。その例としては、過去の平均年員量から年貢率を決める定免法を採用したことや、鉄座や真鍮歴による専売政策などが挙げられる。

田沼意次の政治

徳川家治の老中、田沼意次は、株仲間を公認し、彼らから営業税として運上を徴収した。「役人の子はにぎにぎどが見え」とは、田沼意次の時代に施設が横行したことを詠んだものである。 田沼意次は、朝鮮人参座をおいて朝鮮人朝鮮人参座をおいて朝鮮人参の専売制をいた。

田沼意次の時代には、金貨の単位で表された初めての銀貨である、南鎌二朱銀が鋳造された。俵物など海産物に輸出を疑励した。幕府内で権力を振るった田沼意次は、息子の意知が殺されるとともに失脚した。

まとめ

徳川吉宗は、1716年、紀伊藩主から8代将軍となり享保の改革をすすめる。質素・倹約をかかげて実施。

  • 上米の制…参勤交代で大名が江戸にいる期間を短くするかわりに、幕府に米をおさめさせた。
  • 公事方御定書…公平な裁判の基準となる法律。
  • 目安箱…民衆の意見を取り入れるために置かれた。
    享保の改革により、幕府の財政は一時的に持ち直した。

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