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【高校日本史】世界恐慌時の各国の対策の要点ポイント

【高校日本史】世界恐慌時の各国の対策の要点ポイントです。

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世界恐慌の発生

1929年10月ニューヨークで株価が暴落。取り付け騒ぎが起こり、銀行や工場がつぶれ、農産物の価格が急落。失業者があふれ、ヨーロッパからのアメリカ資本の引きあげでから世界中に混乱が広がりました。各国は自国第一の政策をとり、国際共助の体制が揺らいでいきました。

アメリカの恐慌対策

  • フーヴァー=モラトリアム…賠償・戦債支払いの1年間停止→効果なし。
  • ニューディール…民主党フランクリン=ローズヴェルト大統領が実施→全国産業復興法・農業調整法で産業統制。テネシー川流域開発公社(TVA)などの公共事業。ワグナー法で労働者の団結権・団体交渉権を承認。
  • 対外政策…ラテンアメリカに対する善隣外交をすすめ、ソ連を承認。

イギリス・フランスの恐慌対策

イギリス・フランスは、植民地との関係を密接にし、本国との関係の深い地域で、自給自足的に経済を成り立たせるブロック経済をとった。

  • イギリス…第3次マクドナルド挙国一致内閣で金本位制の停止と財政節減。オタワ連邦会議でスターリング=ブロックの形成。ウェストミンスター」 章。アイルランド問題:シン=フェイン党の独立運動→1922年アイルランド自由国→1937年エール共和国。
  • フランス…左派の台頭→1935年仏ソ相互援助条約、翌年ブルム人民戦線内閣。

イタリア・ドイツの動向

  • イタリア…1935年エチオピアに侵攻。翌年征服。ムッソリーニのファシスト党が政権をにぎり、独裁を行う。世界恐慌で経済を行き詰まるとエチオピアを侵略して、併合しました。
  • ドイツ…ヒトラーのナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)と共産党が伸張。1932年ナチ党が第一党に→翌年ヒトラーが組閣し、国会議事堂放火事件で 共産党を弾圧。全権委任法→一党独裁の完成。ユダヤ人を迫害。1933年国際連盟脱退→1935年ザール地方編入、再軍備宣言→1936年ラインラント進駐。

世界恐慌における日本の対応

世界恐慌期には都市で工場閉鎖や解雇によって失業者が増大し、そのため帰村しなければならなかった女工も多かった。世界恐慌によってアメリカ向け生糸の輸出が激減したため、日本の養蚕業は大打撃をうけた。昭和恐慌前後の農村の窮乏化は、養蚕業の盛んであった関東・甲信越地方や、凶作にみまわれた東北・北海道で特に激しかった。

井上財政によるデフレ政策が行われた。不況に見舞われた農村で小作争議が増加した。日本農民組合は、日本最初の小作人組合の全国組織として、その後の小作争議を指導した

日中戦争と日独伊枢軸の形成

  • 日中戦争…1937年盧溝橋事件で開戦→日本は南京占領。汪兆銘政権樹立。
  • 国民政府…アメリカ・イギリスの援助、国共合作、浙江財閥の協力により、強力に抗戦。
  • スペイン内戦…1936年人民戦線内間に対し、フランコ将軍ら右派が反乱→イギリス・フランスは不干渉。ドイツ・イタリアはフランコを支援→ベルリン=ローマ枢軸の形成。

昭和恐慌

昭和恐慌の影響でアメリカ市場向けの生糸輸出額が急減した。1920年代後半から1930年代後半にかけて、日本窒素は朝鮮進出に成功して新興財閥へ成長した。高橋是清財政の結果、軍需などにささえられて重化学工業が急速に発達し、その生産額は全工業生産額のほぼ半分に達した。

昭和恐慌の原因は、世界恐慌の影響と金解禁による不況の2つが重なったことによる。昭和恐慌の後には、日本は柳条湖事件を発端として、中国への侵略を拡大していった。世界恐慌からの回復期には、日本における低賃金・長時間労働に対してイギリスから非難が寄せられた。

浜口雄幸内閣は軍縮をめざし、ロンドン海軍軍縮条約を締結したが、その内容から議会で統帥権干犯問題の追及を受けた。関東大震災後には、震災恐慌や金融恐慌など、慢性的な不況に陥った。第一次世界大戦を契機に急成長した鈴木商店は、1920年代後半から1930年代後半の間に破産した。第一次世界大戦後、日本では金本位制への復帰が遅れていたが 井上準之助蔵相は緊縮財政と産業合理化を行い、金解禁を断行して、為替相場の安定と貿易の促進を図った。第一次若槻内閣は憲政会、第二次若槻内閣は立憲民政党を基盤としていた。世界恐慌から日中戦争開戦までの時期には、昭和恐慌による企業の操業短縮や倒産が相次ぐなか、政府は重要産業統制法を制定した。

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