【高校生用】モンテスキューの思想の要点ポイントです。
モンテスキューの思想
フランスの啓蒙思想家(注1)・法律家であるモンテスキュー(1689年から1755年没)は、ロックの影響を受けつつ、古代ローマ史などの研究や、ヨーロッパ各国の社会事情や制度を実地に調査した結果をもとに『法の精神』を著しました。
この法の精神の中でモンテスキューは、さまざまな国や時代の法制度や政治形態を、自然条件や生活様式、宗教などとの関係で論じた。
また、主要な政体を共和制・君主制・専制 (独裁制)の3つに分けた。専制を原理的に腐敗したものとして批判し、イギリスのような立憲君主制を理想とした。
モンテスキューの三権分立
モンテスキューは『法の精神』で三権分立を唱えた。
・ロック…国家の統治権を立法・執行(行政)・連合(外交)権の三権に分け、行政と司法を分離しなかった。
・モンテスキュー…立法・執行(行政)・司法の三権に分けた。
・モンテスキュー…立法・執行(行政)・司法の三権に分けた。
3つの権力をそれぞれ別の人または団体に担当させ、抑制と均衡によって権力の集中と濫用を防ぐ三権分立論を完成させた。モンテスキューの三権分立論は、フランス人権宣言やアメリカ合衆国の政治体制に取り入れられた。
■ 三権分立の理論…ロックによって唱えられ、モンテスキューが著書『法の精神』の中で確立した。法治主義行政は、議会が定めた法律に基づいて行われ、司法は、法律に基づいて裁判を行うしくみ。
(注1)啓蒙思想とは
啓蒙思想とは、理性の立場から合理的な知識によって人間を無知や偏見・不合理な因習などから解放しようとする思想。17世紀後半に イギリスで始まり、18世紀を通じてフランスやドイツなどでも展開された。
- イギリス…市民社会の成立を背景にロックそしてヒュームと受け継がれた。
- ドイツ…政治的後進地域であったドイツでは、ヴォルフやカントらの内面世界の合理化をめざす哲学思想として展開された。
- フランス…フランス啓蒙思想はイギリスの影響により形成され、アンシャン=レジームや宗教的不寛容への批判を中心に発展した。
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