【日本史】室町文化(東山・北山文化など)

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【日本史】室町文化(東山・北山文化など)にまとめています。

室町文化

足利義満の時代、南宋の官寺制にならって寺院の寺格を定める「五山・十刹の割」が出されたが、南禅寺は別格として五山の上に置かれた。
室町時代には、臨済宗の有力寺院は、官寺に位置づけられ、京都・鎌倉のそれぞれに五山という格付けが行われた。鎌倉時代に武家社会に広まった臨済宗は、夢窓疎石が足利尊氏の帰依を受け、室町幕府の手厚い保護を受けた。

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寺院・建築物

  • 天竜寺…京都五山の一つに数えられた。
  • 吉崎坊…浄土真宗の蓮如は、その教えを御文という平易な仮名書き文に書き、門徒組織の議などに送って信仰を固めさせた。 中世の日本海沿岸地域では蓮如が吉崎坊(吉職道場)を建立し て北陸の一向宗門徒の拠点とし、やがて門徒勢の力は加賀国の守護国澤氏を攻め滅ぼすまでにいたった。
  • 石山本願寺…摂津に建立され、周心に形式された町は寺内町として発展した。石山本願寺は惣を基盤にして、信者の農民や国人が一揆を結び、大名の支配と闘った。寺院や道場での集まりを中心に、広い範囲に信者の強固な組織を作り上げた。
  • 書院造…15世紀後半には、日親の布教活動により、日蓮宗が京都を早い に西日本各地に広まった。この頃、書院造と呼ばれる建築様式) 現れた。

書物

  • 『大平記』…南北鎌倉幕府の滅亡、朝の動乱を描いた軍記物語である。
  • 『増鏡』…南北朝時代に著された編年体の史書で、承久の乱での朝廷敗北から後醍醐天皇の京都帰還までが描かれている。
  • 『神皇正統記』…大日本は神国なり」と記された『神皇正統記』は、南北朝時代 に南朝の重臣・北畠親房が著した史書で、大義名分論によって南朝の正統性を記している。
  • 『極松論』…南北朝時代に著された戦記で、足利氏が政権を獲得するまでの過程が描かれている。
  • 『建武年中行事』…後醍醐天皇の著作である。
  • 『猫談治要』は、室町時代、一条兼良が将軍足利義尚との問答を記した、政治に関する意見書である。また、一条兼良は、有職故実や古典研究においても著述を残した。

学問

室町時代には五山の禅僧によって、五山版が出版された。 義堂周信は足利基氏に招かれ、禅の指導のために京都から鎌倉へ、赴いた。禅宗の僧である桂庵玄樹は入明したのち、肥後の菊池氏や薩摩の島津氏に招かれて儒学を講義し、薩摩で薩南学派を開いた。 南学は、土佐で南村梅軒によって開かれた。 絶海中津は、五山の禅僧で、義堂周信とともに五山文学の双璧とされる。足利学校を再興したのは、上杉蒸実である。また、北条氏も足利学校は保護した。

16世紀後半には、キリスト教が伝来し、西日本を中心に広まった。 イエズス会のフランシスコ=ザビエルは、日本にキリスト教を伝えた。14世紀以降、禅宗諸派(林下)が、地方の武士や庶民の支持を受けるようになった。 『御成敗式目』は法典としただけでなく、読み書きの手本としても読まれた。 往来物とよばれた読み書きの教科書は、中世だけでなく、近世に入っても多数つくられ、寺子屋での教育に用いられた。室町時代の中期には、初頭教科書である『産生来」が作られた。 戦国時代には堺・山口などで、木版による印刷が行われた。

文芸・美術

観阿弥・世阿弥 父子は、室町将軍義満の保護のもとに、猿楽能を芸術性の高い演劇に大成した。室町時代初期には猿楽の座が各地で活発に活動するようになり、大和国では興福地・春日社に奉仕する大和四座が活動した。 都で武家や公家にも認められた世阿弥は、能の理論書である『風姿花伝』を著し、幽玄の能を追求した。 南北朝・室町時代、武士や民衆によって生み出された狂言は、能 の合間に民衆の日常的な口語で演じられ、風刺性のある喜劇として民衆にもてはやされた。

14世紀後半には、連歌の規則書である応安新式が作られた。二条良基は連歌の規則書を著し、『新撰菜玖波集』を撰し、連歌を和歌と対等の地位にたかめた。 山崎宗鑑の俳諧連歌は、口語を用いて滑稽さをねらう作風を流行させた。

将軍足利義尚に連歌を指導した宗祇は、連歌の芸術性ばかり、九州から東北までの諸国を遍歴して旅の生涯を送った。 戦国時代には農業の進歩にともなって民衆の生活が向上し、民衆が参加し楽しむ各種の芸能も盛んになった。趣向を凝らした扮装をして踊る風流踊りが盛んになった。

禅僧が家からもたらした茶は、南北朝・室町時代に寄合の茶の湯として流行した。 堺の村田珠光がはじめた宿び茶の方式は武野紹鴎に受け継がれた。

北山文化

北山文化は公家の文化と武家の文化と禅宗をはじめとする大陸の文化が融合した文化で、水墨画では明兆があらわれた。足利義満が京都北山に建てた金閣は、代表的な寝殿造と言議の折衷建築物である。

北山文化の時期には、如細・周文・雪舟らが墨の濃淡で自然や人物を象徴的に表現した絵画の世界を作りあげた。 ・応仁の乱後の時期には、絵画で、狩野正信と、その子元信が出て狩野派を確立した。応仁の乱後の時期には、明から帰った雪舟が日本的な水墨画を描いた。

東山文化

東山文化は将軍引退後に造営された山荘に代表される文化で、床の間・違い棚・付書院をもった書院造の東求堂が建てられた。

東山文化の時期には、大徳寺大仙院や竜安寺の庭園のように、石・白砂の組み合わせを主として大自然を表現した枯山水がつくられた。東求堂の同仁斎のように、床・棚・明障子・襖をもちいた書院造という建築様式ができた。室町時代の高級和紙の産地として、越前・美濃などが知られる。

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