【高校日本史】日中戦争

シェアする

スポンサーリンク

【日本史】日中戦争についてまとめています。

日中戦争

第二次若槻礼次郎内閣のときには、関東軍が柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破して、それを中国軍のしわざとして軍事行動を起こした(満州事変)。 田中義一内閣は、東方会議において対中国強硬方針を確認した。 南満州鉄道爆破事件を実際に起こしたのは、この機会に満州(中国東北部)を占領しようとした関東軍であった。 1932年、満州事変中の斎藤実内閣のときに日満議定書が締結された。

スポンサーリンク

国家総動員法

日中戦争が長期化すると、国家のすべての力を戦争に集中できる体制をつくることが緊急の課題となった。そこで政府は、国民精神総動員運動をはじめるとともに、ナチス=ドイツやソ連のような国家による統制経済・計画経済を研究し、1938(昭和13)年には国家総動員法を制定した。その結果、議会の承認なしに、物資や労働力を戦争遂行のために全面的に動員できるようになった。

満州事変

満州事変が起こると、多くの新聞は軍の行動を支持した。 満州事変以後、コミンテルンの反ファシズム統一戦線の呼びかけに呼応して反ファッショ人民戦線の結成を企てたとして、山川均 ら左翼知識人が逮捕、弾圧された(人民戦線事件)。 1931年に起こった十月事件は、政府を打倒して軍部独裁政権を樹立しようとしたクーデタ未遂事件である。 団琢磨は、財界の中心人物となったが、血盟団事件で暗殺された。

五・一五事件

1932年に五・一五事件で海軍の青年将校らにより犬養毅首相が暗殺され、政党政治は終わった。朝鮮総督経験者で唯一の海軍出身者である斎藤実は、五・一五事件直後に総理大臣に就任した。 第一次世界大戦の開戦から日中戦争開戦までの時期に、リットン報告書にもとづく勧告が採択されると、日本は国際連盟を脱退した。

小林多喜二が虐殺されるなど、共産主義者に対する政府の弾圧が厳しさを増すと、転向する者も増えていった。 西安事件を契機に国民党と共産党は提携し、抗日民族統一戦線が成立した。 血清橋事件から数か月後に、日本軍は華北からさらに戦線を拡大し、首都南京を占領した。北京郊外で日本軍と中国軍の衝突事件が起こり、日中戦争がはじまった。 日中戦争時には、第1次近衛内閣により東亜新秩序声明が出された。

二・二六事件

二・二六事件では、陸軍の青年将校らが部隊を率いて政府要人名重要施設を襲撃した。

昭和恐慌の影響でアメリカ市場向けの生糸輸出額が急減した。1920年代後半から1930年代後半にかけて、日本窒素は朝鮮進出に成功して新興財閥”へ成長した。高橋財政の結果、軍需などにささえられて重化学工業が急速に発達し、その生産額は全工業生産額のほぼ半分に達した。

まとめ

日本と中国全面戦争に突入。

  • 盧溝橋事件…1937年北京郊外の盧溝橋付近で起こった日中両軍が武力衝突。日中戦争が始まる。
  • 抗日民族統一戦線…1937年9月それまで対立していた蒋介石が率いる国民党と毛沢東を指導する中国共産党が協力して日本に対抗するため結成。

泥沼化する戦争は、南京事件が象徴で、日本軍が一般人含む多数の中国人を殺害。中国での抗日知識が高まり戦争が全国中国全土に広がった。

その他の戦争

スポンサーリンク

シェアする

スポンサーリンク