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【大学入試対策】日本史の一問一答問題

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【大学入試対策】日本史の一問一答です。

・よくでる編
・差がつく編
から構成しています。

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【よく出る編】日本史の一問一答の問題

次の問いに答えなさい。

(1)古墳の中で最大規模のものは中期の中頃に造営された大阪府にある古墳は、何古墳か。
(2)『唐獅子図屏風』は、城郭内部を装飾するために幕府の御用絵師として活躍した大和絵の装飾画家である誰によって描かれたか。
(3)関所の廃止や撰銭令などとともに、商工業者に自由な営業活動を認めるために信長が命じた市場に関する法令を何というか。
(4)鎌倉時代、輸送業者として各地に現れ、年貢の輸送に当たった。港湾など交通の要地を拠点として、年貢や商品の中継・運送を行った商人を何というか。
(5)室町将軍義満の保護のもとに、猿楽能を芸術性の高い演劇に大成した父子は誰か。父、子ともに書け。
(6)惣村では、神社の祭礼行事の組織として宮座が結成された。話し合いは何とよばれていたか。
(7)戦国大名が領国(りょうごく)をつくり、城の周辺に家来を集め、商工業者を呼び寄せ町を何というか。
(8)江戸時代の将軍と大名(幕府と藩)とが強力な領主権をもって土地と人民とを支配する体制という意味で、何体制とよばれたか?
(9)将軍の側に仕えて将軍の命令・意志を老中に伝え、老中の上申を将軍へ伝えることを職務とした人を何とよんだか。
(10)近世中期以降、農民たちは、茶・漆・桜・紅花・藍などの四水ニ草とよばれる何作物の生産に力を入れるようになったか。
(11)享保改革の時期に幕府は施政に関する意見や役人の不正に対する市民への投書箱である何を設置したか。
(12)自由民権運動の全国組織として、何を結成したか。
(13)第二次若槻礼次郎内閣のときには、関東軍が柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破して、それを中国軍のしわざとして軍事行動を起こした出来事を何というか。
(14)日清戦争の結果得た遼東半島は、何の結果返還させられたか。
(15)1905年7月桂太郎首相が米国大統領特使タフト陸軍長官と交換した秘密協定を何というか。
(16)日本が朝鮮半島に対する支配権を確立し、1910年の併合で植民地化した国はどこか。
(17)日露戦争後、何の設立によって、満州(中国東北部)から日本への油粕(大豆粕) 輸入の増大が促されたか。
(18)世界恐慌時、イギリス・フランスは、植民地との関係を密接にし、本国との関係の深い地域で、自給自足的に経済を成り立たせた。この経済を何経済というか。
(19)太平洋戦争中、日本の植民地支配下の朝鮮や台湾では、何教育が行われたか。
(20)太平洋戦争中には、空襲をさけるため、都市の児童は親元を離れて地方に移された。このことを何というか。
(21)日本ではこの朝鮮戦争を機に、何が創設されたか?後に保安隊に改編され、その後現在の自衛隊となった。
(22)軍隊を市民の代表者が統制するという民主主義の原則を何というか。
(23)1960年に日米新安全保障条約を締結したのは、何内閣か?
(24)1955年から1973年まで日本経済は非常に高い成長を続けた。1968年に国民総生産が資本主義国第2位になる。この成長を何というか。

【よく出る編】日本史の一問一答の問題の解答

(1)大仙陵古墳

5世紀のヤマト政権の盟主、すなわち大王の墓と考えられている。中期の副葬品には、弥生土器の系譜を引く赤焼きの土器である土師器に対し、朝鮮半島から伝えられた硬質で灰色の土器である須恵器がみられるようになった。

(2)狩野永徳

障壁画で、戦乱の世を勝ち抜いた武将たちの自負を反映した、豪華で雄大な構図が特徴である。

(3)楽市令

15,16世紀に形成された地方市場の一形態として存在した楽市場を政策として、新設した城下町・市場に適用したもの

(4)問丸

貨幣経済が浸透していくと、土倉や酒屋が高利貸によって富を蓄えていった 中国から銭貨が輸入され、人々の生活に貨幣が浸透し始めたころ、遠隔地間では支払い手段として為替が利用され、決済のための金融業者も現れた。

(5)(父)観阿弥 (子)世阿弥

都で武家や公家にも認められた世阿弥は、能の理論書である『風姿花伝』を著し、幽玄の能を追求した。

(6)寄合

日常の村政にあたったのは、おとなや沙汰人などであった。

(7)城下町

大内氏の城下町山口には、京都の公家が多く移り住み、古典の講義などが行われた。

(8)幕藩体制

将軍は旗本(1万石未満だが将軍に謁見でき、約5000人)、御家人(将軍に謁見を許されず、1万7000人)という直属の家臣団を多数かかえ、諸大名をはるかにしのぐ強大な軍事力をもっていた。

(9)側用人

側用人の中には、将軍の側近として老中のこえる権勢を振るう者も現れた。

(10)商品作物

近世の農業では箱根用水が造られ、多くの耕地に灌漑用水を供給した。

(11)目安箱

この頃、実学奨励のために、キリスト教関係以外の漢訳洋書の輸入を認めた。大名は、財政窮乏に際して、家臣に対し半知の手段をとることがあった。

(12)国会期成同盟

自由民権運動には、女性の参加がみられた。民撰議院設立の建白書の提出後には、板垣退助が土佐で立志社を結成した。

(13)満州事変

満州事変が起こると、多くの新聞は軍の行動を支持した。満州事変以後、反ファシズム統一戦線の呼びかけに呼応して反ファシズム人民戦線の結成を企てたとして、山川均ら左翼知識人が逮捕、弾圧された。

(14)三国干渉

下関条約では、清国は、朝鮮が独立国であることを認めるとともに、新たに重慶などの4市を開市・開港した。また、日本は2億両の賠償金を得ることになった。

(15)桂・タフト協定

内容は、米国のフィリピン統治と日本の韓国(大韓帝国)に対する保護・監督の権を相互に承認すること。また、極東平和のため日・英・米3国の好意ある了解を認めるというもの。

(16)韓国

韓国併合を行った日本は、首都の漢城を京城と改称し、朝鮮総督府を置いた。

(17)南満州鉄道株式会社

尚、日露戦争後の官営八幡製鉄所の発展は、中国からの原料鉄鉱石の供給に支えられていた。

(18)ブロック経済

世界恐慌によってアメリカ向け生糸の輸出が激減したため、日本の養蚕業は大打撃をうけた。

(19)皇民化教育

日本語教育が徹底された。太平洋戦争中にはタイ・ビルマ間の軍用鉄道建設で、連合軍捕虜・アジア人労務者を酷使し太平洋戦争中の1941年には、小学校が国民学校と改められた。

(20)学童疎開

太平洋戦争の末期には、東京大空襲による被害にもかかわらず、小磯国昭内閣は戦争継続の方針を維持し本土決戦の準備をしていった。

(21)警察予備隊

自衛隊の海外派遣に関しては、1992年にPKO協力法が制定されたことを受け、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)への参加が行われるようになった。

(22)文民統制

内閣総理大臣と防衛大臣が自衛隊を指揮し、国会が自衛隊の定員や組織を、法律や予算で決定するというしくみがとられています。

(23)岸信介内閣

1951年の日米安全保障条約は、必ずしも日本の利益を保障したものではなかったので、改定をはかった。

(24)高度経済成長

1980年代に入っても成長を続け、後半は長期の好況が続いた。しかし、バブル経済とよばれたその好況の崩壊とともに、90年代に入ると戦後最長の不況に陥った。
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【差がつく編】日本史の一問一答の問題

次の問いに答えなさい。

(1)弥生時代の稲の収穫法を何というか。
(2)古墳時代に用いられた、弥生土器の系譜を引く赤焼きの土器を何というか。
(3)嵯峨天皇の厚い信任を得て、平城太上天皇の変に際して最初の蔵人頭に任じられたのは誰か。
(4)北条時頼が、1247年に有力御家人三浦泰村一族を滅ぼした合戦を何というか。
(5)1293年、西国防備と九州統治強化のため、博多に設けられた軍事・行政・裁判の処理機関を何というか。

【差がつく編】日本史の一問一答の問題の解答

(1)穂首刈り

(2)土師器

一方で、須恵器は、5世紀以降に用いられた、挑戦伝来の技術で制作された灰色で硬質な土器である。

(3)藤原冬嗣

(4)宝治合戦

北条時頼は、北条泰時の孫で、第5代執権。

(5)鎮西探題

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