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【高校日本史】古墳時代(ヤマト政権期)の要点ポイント

【高校日本史】古墳時代(ヤマト政権期)の要点ポイントです。

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古墳時代前期

13世紀中頃から後半に、大規模な前方後円墳を代表とする古墳が西日本の各地に出現した。出現期の前方後円墳の中でもっとも規模の大きなものは、大和地方にみられる。この地方を中心とする政治的な連合をヤマト政権という。古墳の墳丘上には埴輪が並び立てられ、斜面は葺石がふかれた。

■ ヤマト政権
ヤマト政権では、豪族は、氏上と呼ばれる首長に率いられた氏という血縁的組織で、地位を示す姓を与えられて統制された。一定の地域に基盤をもつ豪族に臣、大伴・物部氏のような特定の職掌をもつ豪族には連などの姓が与えられ、これらのうちとくに有力なものが政治にあたった。

古墳の特徴

埴輪は前期には墓域を示す円筒埴輪が多く、後期には人物・動物を形どった形象埴輪がさかんになった。

埋葬施設には、古墳時代の前期には木棺を竪穴式石室におさめたものが多く、中期に出現した横穴式石室が、後期には多くなった。古墳の中で最大規模のものは中期の中頃に造営された大阪府にある大仙陵古墳で、5世紀のヤマト政権の盟主、すなわち大王の墓と考えられている。中期の副葬品には、弥生土器の系譜を引く赤焼きの土器である土師器に対し、朝鮮半島から伝えられた硬質で灰色の土器である須恵器がみられるようになった。

古墳の分布

中期の巨大な前方後円墳は近畿中央部だけでなく、群馬県(上毛野)・京都府 北部(丹後)・岡山県(吉備)・宮崎県(日向)などにもみられる。とくに岡山県の造山古墳は墳丘の長さが360メートルもあり、日本列島の古墳のなかで第4位の規模を持つ。このことは、近畿地方を中心とする政治的な連合体のなかで、これらの地域の豪族が重要な位置を占めていたことを示している。

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古墳時代後期

古墳時代後期には、一定地域内で円墳などの規模の小さい古墳が、多数構築された。これを群集墳といい、有力農民層が台頭したことを物語るものと考えられており、奈良県の新沢千塚古墳群などが有名である。玄室内に、彩色あるいは線刻された壁画をも装飾古墳も多くみられるようになった。奈良県の高松塚古墳などがその例である。

古墳時代の人びとの風習として、鹿の骨を焼いて吉凶を占う太古の法や熱湯に手を入れて真偽を判断する盟神深湯などがおこなわれた。

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