【日本史】日清戦争

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【日本史】日清戦争についてまとめています。

日清戦争

日清戦争の前には、朝鮮で、壬午軍乱(壬午事変)が起こった。明治17年(1884年)には、朝鮮の独立党が日本公使館の援助をえてクーデタを起こしたが、清国軍の攻撃で失敗した。伊藤博文と李鴻章によって天津条約は結ばれ、日清両軍の朝鮮からの撤兵などが定められた。アジア近隣諸国から、近代化が進む日本への留学生が増加する中、朝鮮からは、1881年6月から1884年の甲申政変までに100名近い留学生が派遣された。これは開化派の金玉均らの政策によるものであった。

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甲午農民戦争

1894年、甲午農民戦争が起こると、朝鮮をめぐって対立していた日本と清国は朝鮮に出兵し、日清戦争が始まった。日清戦争がはじまると、議会は政府に対し全面的に協調するようになった。日清戦争が終わると、ヨーロッパ列強の中国進出が強まった。義和団事件の鎮圧を機として、列強による清国の勢力圏分割は進んだ。日清戦争の講和条約で、日本は2億両の賠償金を得ることになった。

1897年には、清国からの賠償金をもとに、金本位制が確立された。第1次大隈内閣の内務大臣を務めたのは、板垣退助であった。1890年代には、政府のなかには超然主義を維持しようとする勢力も強く、山県有朋内閣は文官任用令を改正するとともに、軍部大臣現役武官制を定めた。立憲政友会は伊藤博文が総裁に就任して1900年に新たに結成された。

下関条約

下関条約では、清国は、朝鮮が独立国であることを認めるとともに、新たに重慶などの4市を開市・開港した。 日清戦争の結果得た遼東半島は、三国干渉の結果返還させられた。 日清戦争の結果、清国は朝鮮への宗主権を放棄し、その独立を認めた。日清・日露両戦争間の時期には「新嘗胆」を合言葉に、軍備の拡張が進められた。日清戦争後になると、政府と政党のあいだには妥協が進み、政党結成をめざした伊藤博文と憲政党の提携によって立憲政友会が結成された。

日本公使らによる閔妃被害事件以降、朝鮮における反日気運はいっそう高まった。 朝鮮(韓国)貿易において、日本は主に繊維品を輸出し、食料品(米)を輸入するようになった。

まとめ

  • 甲午農民戦争…東学(民間信仰をもとにした朝鮮の宗教)を信仰する人々を中心とする農民が朝鮮戦闘南部一体で蜂起。政治改革や外国人の排除を目指しました。
  • 朝鮮の政府が清に出兵を求めたことをきっかけに日本も出兵。日清戦争が始まり日本が勝利する。
  • 下関条約…日清戦争の講和条約①清は、朝鮮の独立を認め、遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲り渡す。②2億両(テール:当時の約3.1億円)の賠償金を日本に支払います。

台湾を統治した日本は、台湾総督府を設置して。植民地化を進める。

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