【高校日本史】律令制度(大宝律令)まとめ・問題演習

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【日本史】律令制度(大宝律令)についてまとめています。

律令制度

律令政府は碁盤の目状に土地を区画する条里制によって、農における耕地を把握した。古代の日本では、官僚制などを整えるため、中国の律令法を取り入れた。

大宝律令

天武天皇は、即位ののち一人の大臣もおかず、皇子たちとともに政治をおこない、豪族を新しい支配体制に組みいれようとした。そして684年、八色の姓を定め、豪族を皇室との関係の遠近に応じて新しい身分に位置づけた。また律令や国史の編さんにも着手した。つぎの持統天皇(天武天皇の皇后)はこれをうけついで、689年飛鳥浄御原令を施行するとともに、藤原京の造営をすすめ、694年、古京の飛鳥からこの新京に都を移した。藤原京はわが国ではじめての中国風な都城である。続いて文武天皇の701(大宝元)年には、刑部親王・藤原不比等らの手によって大宝律令が制定され、ここに日本は律令国家としての形をととのえた。大宝律令の改定法として、養老律令が編纂された。

  • 律令…律令国家の行政機関、租税制度、刑罰や裁判制度が定められていた。
  • …犯罪とそれに対する刑罰について定めた法典であり、国家や天皇に対する犯罪は、八虐という重罪の一つであった。 律令下の法は、太政官の合議・立案を経て、天皇の裁可を得て制定された。
  • …今日の行政法や民法にあたる。
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役所

  • 治部省…国家の仏事や外交を担当した。
  • 刑部省…刑罰に関する政務を担当した。
  • 弾正台…風俗の取り締まりや官更の監察を担当した。
  • 鎮守府…蝦夷に対する支配を進めるため、陸奥国に置いた。
  • 摂津職…難波には特別行政機関として設置された。
  • 国司…任期は当初6年とされたが、後に4年に短縮された。
  • 里長…里に置かれており、里はのちに郷と改名された。

基本台帳

律令政府は調前を課す基本台帳として、毎年計帳を作成した。 班田収授・氏姓確認の基本台帳として、6年ごとに戸籍を作成した。すべての人民を、身分の上で良民と賎民に分けて支配。中央の財源となった調庸は、成年男子のみに課され、女子には課されなかった。 口分田には1段あたり2束2把の租が課され、口分田は、6年ごとに回収された。

  • 稲の出挙…おもに春に借り秋に利子とともに返済する制度であった。
  • 租…地方の正倉に収納され、地方の財源に充てられた。
  • 庸…中央での労役(歳役)のかわりに布などを納めるものとされた。
  • 雑徭…国司の命令による年間60日以内の労役であった。
  • 兵役…成年男子を3人に1人の割合で徴発する兵役が行われた。

律令制度の変遷

  • 桓武天皇は、班田収授を6年から12年に1回(一紀一班)とすることでその完全実施をめざしたが、9世紀に入ると班田収授自体が滞りはじめた。
  • 醍醐天皇は、延喜の荘園整理令(902年)や班田収授の励行など律令制の再編をめざしたが、結果として902年が全国規模における最後の班田収授となった。醍醐天皇はの の村上天皇とともに藤原氏を摂政・関白にもたない天皇親政の理想の世(延喜・天暦の治)とされるが、律令制の崩壊が露呈したのも10世紀であった。確認【高校日本史】摂関政治まとめ・問題演習

律令制度 練習問題

大宝律令でめざした徴税などの律令体制は、10世紀には現実的な修正を迫られていた。そのうち10世紀における人民や土地の支配方法の変化や、地方支配は誰 がになうようになったのかについて,以下の語句を必ず用いて80字以内で説明しなさい。

解答

戸籍作成と班田収授が滞り、公民を把握できなくなった。郡司の地方行政機能が低下し、徴税請負人化した受領の率いる在庁官人が国衙をにない、公地は負名体制に再編された。

その他の時代

以上が、【高校日本史】律令制度(大宝律令)となります。

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