【高校日本史】大正時代の政党政治

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【日本史】大正時代の政党政治についてまとめています。

政党政治

関東大震災の直後には、根拠の無い流言をもとに、多くの朝鮮人が自警団や官憲によって虐殺された、関東大震災による混乱の中で、無政府主義者の大杉栄と伊藤野枝が憲兵によって殺害された。1925年(大正14年)には普通選挙制度が成立したが、普通選挙論を唱えた政治学者には吉野作造がいた。

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内閣

第1次加藤高明内閣の選挙法改正に基づく最初の衆議院議員選挙で、無産政党から8名が当選した。第一次世界大戦後、労働者・農民の利益を代表する、労働農民党 などの無産政党が結成された。第一回普通選挙では、その無産政党からの当選者も出た。 「憲政の常道」とは、慣例として、衆議院で多数の議席を占める政党が内閣を組織することである。

治安維持法

治安維持法は、「国体」の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社運動の取り締まりを意図していた。田中義一内閣のときに、特別高等警察(特高)が全国に設置された。治安維持法第一条に示された最高刑は、田中義一内題のときに死刑に訂正された。治安警察法と治安維持法は、ともに1945年に廃止された。

政党政治のころ

加藤高明内閣成立以来、1932(昭和7)年の五・一五事件で犬養毅内閣が崩壊するまで、政党内閣がつづき、立憲政友会と憲政会(のち立憲民政党)の二大政党が交代で政権を担当した。ただ一人の元老西園寺公望や総理大臣経験者などの重臣たちも、政党政治を「憲政の常道」とみなして、これに協力した。しかし、議院内閣制が憲法上に制度化されたわけではなく、議会の権限はかぎられたもので、軍部・枢密院・官僚のような議会外の勢力もなお大きな力をもっていた。また政党政治とはいっても、総選挙の結果により政権の交代がおこなわれたことはほとんどなく、野党は政権をとるため、しばしば議会外の勢力と手をにぎって政府・与党を攻撃した。

金権政治

政党相互の対立はいちだんとはげしくなった。普通選挙の実施で有権者が急増したため,選挙資金はますます巨額に なり,政党は政治資金の調達などをつうじてふかく財界とむすびつき、政党政治家の汚職事件もしばしばおこった。そのため政党政治は「金権政治」であるとして、国民の不信感が高まった。このような状況のなかで軍部や国家主義団体などの政党政治排撃の動きが、しだいに勢いを増していった。

政党政治のしくみ

  • 政党…政治で実現したい理念を達成しようとする方針・政策について同じ考え方を持つが人々が作る団体。日本では、得票や議席に応じて国から各政党へ、政党交付金を交付。
  • 政党政治…議員が政党を中心に活動し、複数の政党が政策の実現を目指して行う政治。二大政党制が、議会の大半を占める二党制(イギリスなど)、三つ以上の主要政党が存在する多党制(ドイツなど)など。
  • 政党の働き…国民の様々に意見を集約して、政治に反映させ、政治の動きや政策を国民に知らせる。
  • 首相…選挙で最大議席を獲得した政党または政党グループのリーダーがなるのが一般的。内閣を組織。
  • 与党…内閣を組織して政権を担う政党。
  • 野党…政策を監視・批判する政党。
  • 連立政権…複数の政党によって組織される政権。

問題点

国民の声よりも政党間の利益を優先させる動きがめだつようになり支持する政党をもたない有権者(無党派層)を多く生む結果となった。

その他の時代の政治

以上が、【日本史】大正時代の政党政治となります。

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