【日本史】世界恐慌時の日本の政策

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【日本史】世界恐慌時の日本の政策についてまとめています。

世界恐慌前

第一次大戦の終戦から第二次大戦の終戦までの間に、社会運動の取締りにあたる特別高等警察(特高)が全国に設置された。1928年、日本共産党員などが一斉に検挙される三・一五事件が起こり、翌1929年には、共産党の幹部全員が逮捕される四・一 六事件が起こった。1927~28年には国民革命軍の北伐をおさえるため、3度にわた る山東出兵が行われた。立憲政友会の田中義一内閣は、対中国強硬策を採ったが、張作霖 が爆殺された張作霖爆殺事件(満州某重大事件)の真相を隠したことが原因となって、総辞職した。

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内閣の動き

浜口雄幸内閣は軍縮をめざし、ロンドン海軍軍縮条約を締結した が、その内容から議会で統帥権干犯問題の追及を受けた。 関東大震災後には、震災恐慌や金融恐慌など、慢性的な不況に陥った。第一次世界大戦を契機に急成長した鈴木商店は、1920年代後半から1930年代後半の間に破産した。 第一次世界大戦後、日本では金本位制への復帰が遅れていたが 井上準之助蔵相は緊縮財政と産業合理化を行い、金解禁を断行し て、為替相場の安定と貿易の促進を図った。第一次若槻内閣は憲政会、第二次若槻内閣は立憲民政党を基盤と していた。

世界恐慌から日中戦争開戦までの時期には、昭和恐慌による企業の操業短縮や倒産が相次ぐなか、政府は重要産業統制法を制定した。

世界恐慌

世界恐慌期には都市で工場閉鎖や解雇によって失業者が増大し、そのため帰村しなければならなかった女工も多かった。世界恐慌によってアメリカ向け生糸の輸出が激減したため、日本の養蚕業は大打撃をうけた。昭和恐慌前後の農村の窮乏化は、養蚕業の盛んであった関東・甲 信越地方や、凶作にみまわれた東北・北海道で特に激しかった。

井上財政によるデフレ政策が行われた。不況に見舞われた農村で小作争議が増加した。日本農民組合は、日本最初の小作人組合の全国組織として、その後の小作争議を指導した

昭和恐慌

昭和恐慌により都市の失業者が農村に戻ると、農家の生活困難は深刻化した。昭和恐慌の前後の時期、地租改正によって地租が定額・金納化されていたため、恐慌によっても地租は下がらず、農家の窮乏化はいっそう進んだ。

昭和恐慌の原因は、世界恐慌の影響と金解禁による不況の2つが重なったことによる。昭和恐慌の後には、日本は柳条湖事件を発端として、中国への侵略を拡大していった。世界恐慌からの回復期には、日本における低賃金・長時間労働に対してイギリスから非難が寄せられた。

まとめ

  • 昭和恐慌…世界恐慌の影響で深刻な不況に陥った。
  • 社会…農産物の価格の下落や基金などで国民生活が苦しくなる。労働争議・小作争議が激しくなった。
  • 政党政治の行き詰まり…1930年ロンドン海軍軍縮会議が開かれ、イギリス・アメリカと共に軍縮条約を結ぶ。天皇の権限の侵害があるとされ、浜口雄幸首相が右翼の青年をおそわれ、退陣する。日本では経済でも政治でも行き詰まった状態になる。

世界の対策

世界恐慌は、1929年、アメリカのニューヨークでの株価暴落をきっかけに起こった世界的な経済の混乱。

  • ブロック経済…イギリス・フランスがとった対応で、植民地と本国との貿易を拡大し、他国からの商品に対する関税を高くする経済政策。
  • ニューディール政策…アメリカの対応でルーズベルト大統領の下で積極的な公共事業。農業や工業の生産調整、労働組合の保護を推し進めた。
  • ソ連は、それ以前からの経済計画(5カ年計画)を行っていたので世界恐慌の影響を受けなかった。各国は、それぞれの方法で経済の復興を目指した。
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