▶【大好評】大学入試小論文講座の案内はこちら

【高校日本史】新井白石の政治(正徳の治)の要点ポイント

【高校日本史】新井白石の政治(正徳の治)の要点ポイントです。

スポンサーリンク

新井白石の政治(正徳の治)の概要

朱子学者の新井白石は、綱吉の死後、6代将軍徳川家宣、7打将軍徳川家継の2代の将軍に仕え、文治政治を推し進めた。これを、正徳の治という。

正徳の治の主な政策

まず、新井白石は、徳川綱吉の遺言に反して、人々を苦しめていた生類憐みの令を廃止し、幕府の儀式・制度や服装を整えて、将軍の権威を高めようとした。

次に、新井白石は海舶互市新例を出して、長崎の貿易額を制限した。さらに、輸入品の代金のうち銅で支払う分を増やし、金銀の流出を防ごうとした。新井白石が改鋳した正徳小判は、慶長小判と同程度の金含有率を持つ良質なものであった。正徳の治を実施した新井白石は、元禄小判を改鋳して良質な正徳小判を発行した。しかし、貨幣価値の変動によって経済に混乱を招く結果となった。

長崎貿易の制限を詳しく

白石はまた長崎貿易を制限した。中国船やオランダ船によって輸入された品物は生糸を第一とし、毛織物・木綿・皮革類、白檀その他の木材などであったが、日本ではこれに対して金・銀・銅などで支払っていた。しかし金・銀の産出が減るとともに銅の輸出が増加したので、白石は1715(正徳5)年に海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)をだして、中国船とオランダ船の船隻数や貿易額を制限した。

新井白石の書物

新井白石は江戸幕府の歴史において、学者がその理念を政治に反映させた事例として知られる。新井白石は世界の地理・風俗などを記した『采覧異言』を著した。朝鮮からの国書において将軍の呼称を大君から日本国王に改めさせ、将軍の地位を明確にしようとした。幕府は18世紀前半に朝鮮通信使の待遇を改善し、従来より簡素なものとした。宝永小判は元禄小判より金の含有率がふえたが、重量が減少したため貨幣価値は向上しなかった。

コメント

テキストのコピーはできません。