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【高校日本史】天保の改革の要点ポイント

【高校日本史】天保の改革の要点ポイントです。大塩平八郎の反乱は幕府の飢饉に対する処置に慣った者たちがおこしたもので、大塩平八郎がもと大坂町奉行所与力であったため、 幕府に衝撃を与えた。国学者の生田万は、越後柏崎の代官所を襲撃した。19世紀に、幕府は、関東農村の治安維持をはかるために、関東取締出役が設置された。一方で、ききんが長期化していた。

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天保の改革

水野忠邦
こうしたききんの長期化で、幕府も深刻な財政難となった中で、老中の水野忠邦は、幕府の財政の再建や封建支配の教科のために、1841年から12代将軍徳川家慶のもとで、天保の改革を始める。

天保の改革では、上知令を出して、江戸・大坂周辺を幕府直轄領に編入しようとしたが、多くの反対にあい、撤回された。農村人口確保のため、江戸に流入した農民を強制的に農村に返す、人返しの法が出された。

水野忠邦は、物価を引き下げるために、株仲間を解散させた。 異国船打払令を緩和して、薪水給与令を出した。さらに、質素・倹約を厳しく命じて華美な風俗を禁止した。

天保の改革の終わり

上知令を出したことにより、直接的に影響のあった大名、旗本、百姓らの強い反対により、2年余りで失敗に終わった。

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