【日本史】天保の改革(水野忠邦の政治)

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【日本史】天保の改革(水野忠邦の政治)についてまとめています。

天保の改革

大塩平八郎の反乱は幕府の飢饉に対する処置に慣った者たちがおこしたもので、大塩平八郎がもと大坂町奉行所与力であったため、 幕府に衝撃を与えた。国学者の生田万は、越後柏崎の代官所を襲撃した。19世紀に、幕府は、関東農村の治安維持をはかるために、関東取締出役が設置された。

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改革

天保の改革では、上知令を出して、江戸・大坂周辺を幕府直轄領に編入しようとしたが、多くの反対にあい撤回された。 農村人口確保のため、江戸に流入した農民を強制的に農村に返す、人返しの法が出された。

水野忠邦は、物価を引き下げるために、株仲間を解散させた。 異国船打払令を緩和して、新水給与令を出した。さらに、質素・倹約を厳しく命じて華美な風俗を禁止した。

近代化への動き

幕末、佐賀藩は反射炉を築造し、大砲を鋳造した。佐賀藩の鍋島直正は農村の再建をめざして均田割を実施した。長州藩の村田清風は、藩財政の再建をはかる一方、農具の不満をやわらげるため専売制を改革した。また、越荷方の制度を整えた。 こうして長州藩では、巨額の借財を整理するとともに、下関の越荷方を拡大して利益をあげた。

19世紀には、薩摩藩で藩主の島津斉彬が集成館と称する直営工場群を建設し、新たな産業の導入と軍事改革をすすめた。薩摩藩では、調所広郷が砂糖の専売強化や琉球貿易の増大をはかり、藩財政の建て直しに貢献した。農村工業が発達し、織物業などで一部にマニュファクチュア経営も現れた。工場制手工業(マニュファクチュア)では、農業から離れた賃労働者を雇って分業と協業による生産が行われた。

  • 問屋制家内工業…問屋から原料をかりうけた農家が行ったもので、はたおりなどの手工業。
  • 工場制手工業…19世紀ごろから登場した商人や地主から工場をつくり、人をやとって行う工業でマニュファクチュアとも呼ばれる。

まとめ

  • 天保の改革…老中水野忠邦が実施。倹約令で庶民の贅沢を禁止した。しかしながら、江戸・大阪周辺の農村を幕領にしようとしたが、大名・旗本が強く反対。天保の改革は失敗に終わる。
  • 株仲間の解散…物価の引き下げが目的
  • 雄藩…藩政改革通じて財政建て直しに成功し、政治的な発言力をつけた藩。薩摩藩・肥前藩・長州藩など。

享保・寛政の改革につづき、天保の改革も失敗に終わった。

あわせて確認

【日本史】寛政の改革(松平定信の政治)
【日本史】享保の改革(徳川吉宗の政治)
【日本史】新井白石の政治(正徳の治)

以上が、【日本史】天保の改革(水野忠邦の政治)となります。

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