【日本史】天平文化のまとめ

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【日本史】天平文化についてまとめています。

天平文化

8世紀の文化は平城京を中心にさかえ、聖武天皇のときの年号をとって天平文化とよばれている。律令国家の支配層である貴族には、国の歴史や国土・産物についての知識がもとめられるようになった。712(和銅5)年にできた『古事記』は、天武天皇のとき古くから伝わる『帝紀』『旧辞」を稗田阿礼に命じてよみならわせたものを、元明天皇が太安麻呂(安万侶)に筆録させたものである。

720(養老4)年にできた『日本書紀』は、舎人親王らが中国の史書の体裁にならい国家の正史として完成させたものである。これと前後して、政府は713(和銅6)年、国ごとに土地の産物・地名の由来, 古老の伝聞などを記録し、言上するよう命じた。これをうけて国司の報告したものが風土記で、まとまったものとしては常陸・播磨・出雲・豊後・肥前の5カ国のものが残っている。

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正倉院

正倉院に納められているのは光明皇太后により献納された聖武天皇の遺品が中心である。 正倉院の『鳥毛立女屏風』には、衣服や木の葉の部分に、彩色の代わりとして鳥の羽が貼りつけてあった。宝庫には、聖武天皇の遺品として、(正倉院)螺鈿紫檀五絃琵琶などが収められている。

  • 蘆舎那仏…紫香楽で造立が開始され、平城京に都が戻されたのちに東大寺の大仏として完成した。
  • 興福寺…平城京に営まれ、藤原氏の氏寺として藤原氏一族や天皇の信仰も篤く、都が平安京に遷ってからのちも大きな勢力を保った。

奈良時代には、官営の大寺院や国分寺で鎮護国家のための法会が行われた。 南都六宗で、仏教教理の学問的研究に力がそそがれた。寺院の多くは都の市中や周辺に建てられていた。寺院が山中に建てられるようになるのは、平安時代以降である。

  • 鑑真…東大寺において僧侶らに戒律を授け、またその晩年に唐招提寺を創建した。
  • 行基…法令にそむいたの行基の民間布教は、政府によって禁圧された。

我が国の仏教は、南北朝の大陸文化に強い影響をうけた結果、7世紀後半以後、国家仏教的性格を強め、鎮護国家思想の成立をみた。

建造物

  • 興福寺八部衆像
  • 薬師寺吉祥天画像
  • 唐招提寺鑑真和上像

史料

  • 日本三代実録…中国の史書にならい、編年体で記された六国史の最後

万葉集

日本語を表すために、漢字の音訓を利用した万葉仮名が考案され、 和歌の表記に多く用いられた。 東歌や防人歌など、地方農民の歌が数多く収録されている。 短歌・長歌など約4,500首の歌が、万葉仮名で記されている。農民の気持ちを詠んだ東歌や、苛酷な税の取立てを歌った。

  • 貧しい農民生活を歌った山上憶良の「貧窮問答歌

日本史 前後をあわせて確認

以上が、【日本史】天平文化となります。

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