【日本史】徳川綱吉の政治(天和の治)

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【日本史】徳川綱吉の政治(天和の治)についてまとめています。

徳川綱吉の政治(天和の治)

「かぶき者」は、徳川綱吉による取り締まりの強化から、次第に姿を消していった。元禄時代の将軍・徳川綱吉は、既存の法令や判例を集大成したり して(天和の武家諸法度など)、その治世の初期は、「天和の治」 とよばれる文治政治を推進した。朱子学を官学とし、湯島に聖堂を建立した。

  • 生類憐みの令を出して、犬をはじめとする鳥獣の保護を命じた。
  • 幣の質を落とした改鋳を行い、物価の騰貴を招いた。

元禄時代、荻原重秀は財政難を打開するために貨幣改鋳を行い、質を下げた元禄小判を発行した。しかし、貨幣価値の下落は、物価高騰を招く結果となった。徳川綱吉は側用人として、柳沢吉保を重用した。 江戸城や周辺の市街地は明暦の大火で大きな被害を受け、幕府財政を逼迫させる要因の一つとなった。

まとめ

徳川綱吉(第五代将軍)の政治は、身分秩序を重視する朱子学などの儒学を奨励。幕府の財政を補うため貨幣の質を落としたため、物価が上昇。生類憐れみの令は、極端な動物愛護令でした。

  • 朱子学を官学として、湯島に聖堂を建立。
  • 生類憐みの令…病気の生類を捨てることを禁じ、食料のために魚、鳥、亀、貝を売ることを禁止。
  • 貨幣改鋳…低品位で大量発行。しかし、低品位貨幣では同額面では売りたくないため物価が上昇。

となります。

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以上が、【日本史】徳川綱吉の政治となります。

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