【大学入試・日本史】よく出る人物についてまとめています。日本史の学習において、重要人物の理解は欠かせません。特に大学入試や定期テストでは、歴史の流れの中で各人物が果たした役割を正確に把握しておくことが求められます。本記事では、近代から現代にかけて頻出の政治家を中心に、その功績や関わった出来事を簡潔に整理しました。効率的に学習を進め、試験対策に役立てましょう!
覚えておきたいよく出る歴史上の人物
人物名 | 内容 |
---|---|
蘇我馬子 | 崇峻天皇を暗殺し、推古天皇を即位させた。 |
小野妹子 | 「日出る処の天子」の国書を持参し、中国と対等の関係を築こうとした。 |
天武天皇 | 壬申の乱後に権力を強め、仏教を統制下に置いた。 |
持統天皇 | 庚寅年籍を制定し、孫の文武天皇を即位させた。 |
長屋王 | 天武天皇の孫。藤原四子と対立し、自殺に追い込まれた。 |
聖武天皇 | 国分寺建立の詔、大仏造立の詔を発布した。 |
鑑真 | 日本へ渡り、仏教の戒律を伝え、唐招提寺を創建した。 |
藤原仲麻呂 | 養老律令を施行した。 |
光明子 | 悲田院・施薬院を設置し、貧窮者の救済を目指した。 |
玄昉 | 橘諸兄の政権に参画したが、藤原仲麻呂により失脚。 |
孝謙天皇 | 東大寺大仏の開眼供養を行い、上皇となった。 |
道鏡 | 法王となり権力を握り、墾田永年私財法を停止した。 |
和気清麻呂 | 藤原百川と共に道鏡の皇位就任を阻止。 |
行基 | 民間布教を行い、政府により一時禁圧された。 |
桓武天皇 | 軍団を廃止し、郡司の子弟を健児とした。 |
坂上田村麻呂 | 征夷大将軍として蝦夷を征討し、胆沢城を築いた。 |
嵯峨天皇 | 京内の治安維持のため検非違使を設置した。 |
空海 | 高野山に金剛峰寺を開き、真言宗を広めた。 |
最澄 | 比叡山に延暦寺を建立し、天台宗を広めた。 |
藤原道長 | 法成寺を造営し、浄土信仰を深めた。 |
藤原実資 | 『小右記』を記し、藤原道長の栄華を伝えた。 |
藤原頼通 | 約50年間摂関を独占し、平等院鳳凰堂を建立した。 |
白河上皇 | 院政を行い、僧兵の勢力に苦しんだ。 |
平清盛 | 日宋貿易を奨励し、太政大臣に任じられた。 |
後白河上皇 | 鹿ケ谷事件などを通じて権力を維持した。 |
源頼朝 | 奥州藤原氏を滅ぼし、征夷大将軍となった。 |
北条政子 | 源頼家の親政を停止し、合議制を推進した。 |
北条泰時 | 評定衆を設置し、鎌倉幕府の政治制度を整えた。 |
後鳥羽上皇 | 承久の乱を起こすが敗北し、配流された。 |
北条時頼 | 引付衆を設置し、裁判の迅速化を図った。 |
源実朝 | 『金槐和歌集』を残した鎌倉幕府第3代将軍。 |
鴨長明 | 『方丈記』で無常観を描いた。 |
西行 | 『山家集』を編纂した。 |
橘成季 | 『古今著聞集』を編纂した。 |
阿仏尼 | 『十六夜日記』を著した。 |
足利義満 | 南北朝の合体を実現し、幕府の全国支配を完成させた。 |
足利尊氏 | 天竜寺を建立し、天竜寺船を元に派遣した。 |
織田信長 | 関所を撤廃し、安土城を築いた。 |
豊臣秀吉 | 関白・太政大臣となり、聚楽第を造営した。 |
徳川家康 | 江戸幕府を開き、豊臣氏を滅ぼした。 |
林羅山 | 江戸時代初期の朱子学者。 |
酒井田柿右衛門 | 赤絵磁器の製造に成功し、有田焼の名を高めた。 |
徳川綱吉 | 生類憐みの令を出し、貨幣改鋳で物価高騰を招いた。 |
荻原重秀 | 財政難対策として貨幣改鋳を行い、元禄小判を発行。 |
新井白石 | 海舶互市新例で長崎貿易を制限し、金銀流出を防止。 |
吉田光由 | 『塵劫記』を著し、和算の普及に貢献。 |
関孝和 | 『発微算法』を著し、高等数学の理論を発展。 |
伊藤仁斎 | 古義学派を形成し、古義堂を開く。 |
山崎闇斎 | 儒教と神道を融合させ、垂加神道を開いた。 |
稲生若水 | 『庶物類集』を編集。 |
貝原益軒 | 『大和本草』を著し、本草学の基礎を築く。 |
安井算哲 | 貞享暦を作成し、中国の暦を訂正。 |
井原西鶴 | 町人の愛欲や営利を描いた浮世草子を執筆。 |
松尾芭蕉 | 蕉風を確立し、俳諧を発展。 |
西山宗因 | 談林派俳諧を広める。 |
徳川吉宗 | 享保の改革を実施し、質素倹約を推進。 |
田沼意次 | 株仲間を公認し、営業税を徴収。 |
水野忠邦 | 株仲間を解散し、物価引き下げを図る。 |
島津斉彬 | 集成館を建設し、産業と軍事改革を推進。 |
西川知見 | 『華夷通商考』を著し、世界の産物を記録。 |
杉田玄白 | 『ターヘルアナトミア』を翻訳。 |
志筑忠雄 | 『暦象新書』でニュートン力学や地動説を紹介。 |
稲村三色 | 『ハルマ和解』を訳出し、最初の蘭日対訳辞書を作成。 |
本居宣長 | 『古事記伝』を著し、『古事記』を研究。 |
伊能忠敬 | 全国沿岸を測量し、『大日本沿海輿地全図』を作成。 |
平賀源内 | 摩擦発電器(エレキテル)の実験や寒暖計を発明。 |
緒方洪庵 | 適塾を設立し、蘭学を教授。 |
山県大弐 | 尊王論を唱え、幕府を批判して処罰される。 |
竹内式部 | 公家に尊王論を説き、処罰される。 |
司馬江漢 | 西洋画の技法を用いた銅版画を制作。 |
亜欧堂田善 | 西洋画を修得。 |
中江兆民 | 自由民権運動を推進し、政府に弾圧される。 |
伊藤博文 | ドイツ憲法を学び、憲法制定を推進。 |
黒田清隆 | 開拓使官有物払下げ問題で批判を受ける。 |
山県有朋 | 徴兵制度を導入し、陸軍を指導。 |
松方正義 | 紙幣整理を行い、財政を安定化。 |
大隈重信 | 日米通商航海条約を締結し、関税自主権を回復。 |
津田梅子 | 女子英学塾を創設。 |
福沢諭吉 | 慶應義塾を創立。 |
フェノロサ | 日本美術の復興に努める。 |
黒田清輝 | 印象派の画風を紹介し、「湖畔」などを描く。 |
荻原守衛 | 欧米の近代彫刻を制作。 |
滝廉太郎 | 「荒城の月」「花」を作曲。 |
加藤高明 | 労働農民党など無産政党の成立。 |
浜口雄幸 | ロンドン海軍軍縮条約を締結。 |
若槻礼次郎 | 第1次・第2次内閣を組織するが、退陣。 |
田中義一 | モラトリアムを発令し、金融恐慌を鎮静化。 |
犬養毅 | 五・一五事件で暗殺される。 |
高橋是清 | 「ダルマ宰相」。金融恐慌を鎮め、犬養毅内閣で金解禁を停止。 |
広田弘毅 | 「広義国防国家の建設」を掲げ、華北分離政策・日独防共協定を推進。 |
近衛文麿 | 国民精神総動員運動、国家総動員法制定、新体制運動を推進。 |
東条英機 | 真珠湾攻撃で太平洋戦争勃発。ミッドウェー敗北後、日本軍が劣勢に。 |
鈴木貫太郎 | ポツダム宣言受諾、玉音放送を実施し終戦を迎えた。 |
吉田茂 | 戦後の自由党総裁。民主自由党内閣を成立させ、自由党政権を確立。 |
片山哲 | 日本社会党の委員長。連立内閣を組織するも、労働者の反発で総辞職。 |
鳩山一郎 | 日本民主党を結成し、保守合同を実現。日ソ国交回復を果たす。 |
岸信介 | 日米安全保障条約改定を推進し、安保闘争を招くも批准に成功。 |
池田勇人 | 「所得倍増計画」を実施。東京オリンピック開催、東海道新幹線開通。 |
佐藤栄作 | 小笠原・沖縄返還を実現。佐藤・ニクソン会談で沖縄復帰を決定。 |
田中角栄 | 日中共同声明に調印し、日中国交正常化を実現。「日本列島改造論」。 |
中曽根康弘 | 公共事業を民営化。国鉄→JR、電電公社→NTT、日本専売公社→JT。 |
細川護熙 | 非自民連立内閣を成立させ、55年体制を崩壊させた。 |
以下は、それぞれ重要人物をピックアップしています。
飛鳥時代の人物一覧
- 蘇我馬子…男の崇峻天皇を暗殺し、姪の推古天皇を即位させた。
- 小野妹子…「日出る処の天子」からの国書を持参し、日本は中国皇帝と対等の関係を築こうとした。
奈良時代の人物一覧
- 天武天皇…壬申の乱の後、畿内の有力豪族が没落したことにより相対的に権力を強め、親政を行った。天武天皇は仏教を尊重して大寺院を建立する一方、僧尼を規制し、仏教を国家統制の下に置いた。
- 持続天皇…もと天武天皇の皇后であったが、夫・天武天皇や息子・草壁王子の死後、自ら皇位につき、また孫・文武天皇の即位も実現している。 持統天皇は庚寅年籍を制定した。
- 長屋王…親王(天皇の子や兄弟)と記されているが、天武天皇の孫であり、藤原不比等の死後実権をにぎったが、天皇家と結びつき勢力を拡大した藤原四子と対立し、策謀により自殺させられた。
- 聖武天皇…国分寺建立の詔、大仏造立の詔をだした。
- 鑑真…何度も遭難しながらも、日本へ渡って仏教の戒律を伝えた。
- 藤原仲麻呂…養老律令を施行した。
- 光明子…驚く仏教を信仰し、貧窮者の救済をめざして悲田院・ 施薬院を置いた。
- 玄助…橘諸兄の政権に参画したが、藤原仲麻呂の台頭により失脚した
- 孝謙天皇…東大寺大仏の開眼供養を行い、譲位して上皇となった。
- 道鏡…称徳天皇の支持により法王となって権力を握り、撃田開発を寺院だけの特権とするために、墾田永年私財法を停止するなどした。
- 和気清麻呂…藤原百川らとともに、皇位に就こうとする道鏡の企 てを阻止した。
- 鑑真…東大寺において僧侶らに戒律を授け、またその晩年に唐招提寺を創建した。
- 行基…法令にそむいたの行基の民間布教は、政府によって禁圧された。
平安時代の人物一覧
- 桓武天皇…東北・九州などを除いて軍団・兵士を廃止し、郡司の子弟を健児とした。
- 坂上田村麻呂・阿倍比羅夫…7世紀に蝦夷を征討した。征夷大将軍となった坂上田村麻呂が胆沢城を築いた。
- 嵯峨天皇…京内の治安維持をつかさどる検非違使を設置した。検非違使は、平安京内の警察にあた るもので、裁判権も掌握していった。
- 空海…遣唐使や遣隋使に随行した留学生・留学僧には空海がいるが、空海は帰国後、9世紀に高野山に金剛峰寺を開き、真言宗を伝えた。
- 最澄…帰国後、比叡山に延暦寺を建立し天台宗を伝えた。9世紀には天台宗に密教が本格的に取り入れられた。
- 藤原道長…当時流行した浄土の教えを信じ、晩年には阿弥陀堂を中心とする法成寺を造営した。
- 藤原実資…『小右記』宮廷の儀式や故実について記された記録がある。そこには、「この世をば我が世とぞ思ふ、望月の欠けた ることもなしと思へば」と詠んだ藤原道長の栄華についても記述されている。
- 藤原頼通…約50年にわたって摂関の地位を独占し、平等院鳳凰堂を建立した。
- 白河上皇…自分の心に従わないものとして、賀茂川の水、双六の事の目とともに延暦寺の僧兵をあげた。平治の乱で勝利を収めた平清盛は乱後、後白河院政のもとで中央政界での地位を高めた。
- 平清盛…太政大臣に任命され、その一族も高位高官に昇った。大輪田泊の修築を行うなど、日宋貿易を奨励した。13世紀中頃から借上を金融業者として、米銭の輸送または賃借に為替という決済手段が用いられた。
- 後白河上皇…鹿ケ谷事件(鹿ヶ谷の陰謀)が起き、藤原成親が俊寛とともに処罰された。 11世紀には、上級貴族や寺社は知行国主として一国の支配権を 与えられ、国守には国主の子弟が任命された。
鎌倉時代の人物一覧
- 源頼朝…奥州藤原氏を滅ぼした後、奥州総奉行を置いた。後白河法皇の死後、征夷大将軍に任命された。
- 北条政子…父の北条時政とはかって将軍源頼家の親政を停止し、有力御家人による合議制を進めた。
- 北条泰時…3代執権。有力御家人や政務にすぐれた人々を選んで、評定衆を創設した。
- 後鳥羽上皇…西面の武士を設置して、軍事力の増強をはかり、権力の回復につとめた。源実朝の死後、後鳥羽上皇は承久の乱を起こした。承久の乱の結果、後鳥羽・土御門・順徳の三人の上皇が配流され、仲恭天皇が廃された。
- 北条時頼…1252年に宗尊将軍として鎌倉に迎えた。北条時頼は、裁判の迅速化をはかるため、評定衆の下に新たに引付宗衆を設置した。
- 源実朝…『金槐和歌集』を残した、鎌倉幕府第3代将軍である。
- 鴨長明…『方丈記』において、変転する世相を無常観にもとづいて描いた。
- 西行…自身の和歌集『山家集』を残している。
- 橘成季…『古今著聞集』を編纂した。
- 阿仏尼…『十六夜日記』を著した。
- 足利義満…南朝の後亀山天皇によびかけて南北朝の合体を実現し、南北朝の動乱に終止符を打った。 将軍足利義満の仲介を経て、南朝の天皇が北朝の後小松天皇に位を譲り、南北両朝が合体したことで、幕府の全国支配が完成した。
- 足利尊氏…後醍醐天皇の冥福を祈るため天竜寺建立を計画し、造営費の調達のため天竜寺船を元に派遣した。
安土・桃山時代の人物一覧
- 織田信長…安土に城を築いた。関所を撤廃し、城下町の商業活動が円滑にいくようにした。
- 豊臣秀吉…関白についで太政大臣に任じられたが、征夷大将軍になることはなかった。聚楽第を造営して天皇をむかえ、諸大名に天皇と自
分に対する忠誠を誓わせた。
江戸時代の人物一覧
- 徳川家康…1600年の関ヶ原の戦いに勝った後、1603年に征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開いた。方広寺の鐘銘問題がきっかけとなり、大坂の役がおこり徳川家康は大坂夏の陣で、豊臣秀頼を自害に追いこみ豊臣氏を滅ぼした。
- 林羅山…江戸時代初期の朱子学者の中心思想は、「存心持敬(日常の言動をつつしみ、本来の自己に立ち返ること)」と「上下定分の理(士農工商の身分秩序, 幕藩体制の正当化)」である。
- 酒井田柿右衛門…上絵付の技法を修得し、赤絵磁器の製造に成功して、有田焼の名を高めた。
- 徳川綱吉…生類憐みの令を出して、犬をはじめとする鳥獣の保護を命じた。貨幣の質を落とした改鋳を行い、物価の騰貴を招いた。
- 荻原重秀…財政難を打開するために貨幣改鋳を行い、質を下げた元禄小判を発行した。
- 新井白石…海舶互市新例を出して、長崎の貿易額を制限した。さらに、輸入品の代金のうち銅で支払う分を増やし、金銀の流出を防ごうとした。
- 吉田光由…『塵劫記』を著し、和算の普及に寄与した。
- 関孝和…高等数学の理論を組み立てて和算を大きく発展させ、『発微算法』を著した。
- 伊藤仁斎…古義学派を形成し、古義堂を開いて多くの門人を育てた。
- 山崎闇斎…儒教(朱子学)と神道を融合させて垂加神道を開いた。
- 稲生若水…『庶物類集』を編集した。
- 貝原益軒…『大和本草』を著し、本草学の基礎を築いた。
- 安井算哲…中国の暦を訂正した貞享暦が作成された。
- 井原西鶴…町人の愛欲の世界を奔放に描写し、営利の道を肯定的に描いた。
- 松尾芭蕉…松永貞徳ら貞門派や西山宗因ら談林派の俳風を学び、自己の俳風として正園(蕉風)を確立した。
- 西山宗因…談林派による俳諧がもてはやされた。
- 徳川吉宗…1716年、紀伊藩主から8代将軍となり享保の改革をすすめる。質素・倹約をかかげて実施。
- 田沼意次…株仲間を公認し、彼らから営業税として運上を徴収した。「役人の子はにぎにぎどが見え」とは、田沼意次の時代に施設が横行したことを詠んだものである。 田沼意次は、朝鮮人参座をおいて朝鮮人朝鮮人参座をおいて朝鮮人参の専売制をいた。
- 水野忠邦…物価を引き下げるために、株仲間を解散させた。 異国船打払令を緩和して、新水給与令を出した。さらに、質素・倹約を厳しく命じて華美な風俗を禁止した。
- 島津斉彬…集成館と称する直営工場群を建設し、新たな産業の導入と軍事改革をすすめた。
- 西川知見…中国・東南アジア・ヨーロッパなど世界各地域の産物を記した『華夷通商考』を著した。新井白石は潜入したイタリア人宣教師シドッチを尋問し、『西洋紀聞』を著した。
- 杉田玄白…西洋医学の解剖書『ターヘルニアナトミア』を翻訳した。
- 志筑忠雄…『暦象新書』を著して、こュートンの力学やコペルニクスの地動説を紹介した。
- 稲村三色…最初の蘭日対訳辞書である『ハルマ剤薬』を訳出した。
- 本居宣長…長年にわたって『古事記』を研究した成果を『古事記伝』としてまとめた。
- 伊能忠敬…全国の沿岸の測量を行い、『大日本沿海輿地全図』の作成にあたった。
- 平賀源内…物理学の研究を進め、摩擦発電器(エレキテル)の実験を行い、寒暖計や不燃性の布などをつくった。
- 緒方洪庵…設立した適塾(適々斎塾)では蘭学が教授され、多くの人材を輩出した。
- 山県大弐…尊王論の立場から幕府を批判して処罰された。
- 竹内式部…京都の公家に尊王論を説いて処罰された。
- 司馬江漢…西洋画の技法により銅版画を制作した。
- 亜欧堂田善…西洋画を修得した。
明治時代の人物一覧
- 中江兆民…参加した自由党は、政府の弾圧と党内の混乱によって解党した。保安条例によって、ほかの民権家らとともに東京から追放された。
- 伊藤博文…ヨーロッパでシュタインやグティストからドイツ派の憲法理論を学んで帰国し、憲法制定の準備を進めた。
- 黒田清隆…(北海道)開拓使官有物払下げを強行しようとして批判をあび、一時閑職に退いたが、のちに復帰し、首相として大日本帝国憲法発布の式典に臨んだ。
- 山県有朋…徴兵制度を導入し、陸軍最高の指導者として2回首相となり、その後も元老として権力をふるった。
- 松方正義…大蔵卿として紙幣整理を断行し財政の安定に貢献するとともに、首相を2回つとめ、のちに元老となった。
- 大隈重信…大審院に限り外国人判事の任用を認める方針で冬約改正交渉にのぞんだが、国内の反対の声が強く、交渉の挫折を余儀なくされた。 日米通商航海条約の締結・発行によって日本は関税自主権を完全に回復した。
- 津田梅子…岩倉使節団に随行してアメリカに留学し、帰国後には女子英学塾を創設した。
- 福沢諭吉…慶應義塾を創立した。
- フェノロサ…アメリカ人。岡倉天心とともに、日本の美術の復興に努める。また、日本画の横山大観(無我)、狩野芳崖、彫刻の高村光雲が近代的な日本の美術を切り開きました、
- 黒田清輝…印象派の画風を紹介し、「湖畔」などを描きました。
- 荻原守衛…欧米の近代的な彫刻を制作。
- 滝廉太郎…「荒城の月」や「花」を作曲。
大正時代の人物一覧
- 加藤高明…選挙法改正に基づく最初の衆議院議員選挙で、無産政党から8名が当選した。第一次世界大戦後、労働者・農民の利益を代表する、労働農民党 などの無産政党が結成された。
- 浜口雄幸…軍縮をめざし、ロンドン海軍軍縮条約を締結したが、その内容から議会で統帥権干犯問題の追及を受けた。 関東大震災後には、震災恐慌や金融恐慌など、慢性的な不況に陥った。
よく出る総理大臣
- 若槻礼次郎…憲政会を与党として、1926年に第1次の内閣をつくったが台湾銀行救済問題で退陣した。立憲民政党を与党として、第2次の内閣をつくったが、満州事変を収拾できず総辞職し、犬養毅内閣とかわった。
- 田中義一…第1次若槻礼次郎のあとをうけて、1927年に組閣、モラトリアム(支払猶予令)などによって金融恐慌を鎮めた。外交的には、それまでの協調外交をやめて積極外交をめざし、3次にわたって山東出兵をおこなった。
- 浜口雄幸…立憲民政党を与党として組閣、蔵相に井上準之助を起用して金解禁を断行した。1930年のロンドン海軍軍縮会議に、若槻礼次郎・財部彪らを派遣して補助艦の制限をおこなった。
- 犬養毅…大正時代には立憲国民党をひきいて第1次護憲運動に、革新倶楽部をひきいて第2次護憲運動に活躍した。1931年12月、立憲政友会を与党として組閣したが、満州国を認せず軍部の反発をうけ、1932年の五・一五事件によって暗殺された。
- 高橋是清…原敬内閣が首相の暗殺で崩壊したあと、後継として組閣し、ダルマ宰相とよばれた。田中義一内閣の蔵相として金融恐慌を鎮めたのを始めとして財政関係のエキスパートとして活躍した。犬養毅内閣では蔵相として金解禁を停止した。
- 広田弘毅…岡田啓介内閣のあとをうけて組閣し、「広義国防国家の建設」をスローガンとして、軍と協調する姿勢を示し国防方針として国案の基準を決定した。対外的には華北分離政策をとり華北5省に侵略をすすめると同時に、1936年には日独防共協定を調印した。
- 近衛文麿…第1次内閣では国民精神総動員運動をスローガンとして、1938年に国家総動員法を制定した。第2次内閣では新体制運動をスローガンとしてかかげ、具体的な政策として大政翼賛会、大日本産業報国会を結成した。
- 東条英機…1941年12月8日、ハワイの真珠湾攻撃をおこない太平洋戦争 (大東亜戦争)が勃発、翌年2月にシンガポールを占領するが、6月のミッドウェー海戦に大敗、これ以後、日本軍へのアメリカ軍の反攻が始まる。1943年2月にガダルカナル島撤退、4月には連合艦隊司令長 の山本五十六が戦死、5月にアッツ島(熱田島)の日本守備隊が玉砕、6月のマリアナ沖海戦で空母の大半を失い、7月にサイパン島が玉砕したため内閣は総辞職した 。
- 鈴木貫太郎…1945年5月、ソ連は日本に対して日ソ中立条約の不延長を通告し、さらに日本の和平幹旋依頼も拒否した。1945年4月にアメリカ軍が沖縄に上陸、6月には占領を完了。8月6日には広島に原爆投下。8月8日にはソ連の対日宣戦。8月9日には長崎に原爆投下。8月14日についにポツダム宣言を受諾し、8月15日に終戦の詔勅の放送(玉音放送)がおこなわれた。
- 吉田茂…1946年4月の戦後初の総選挙で第1党となった自由党の総裁の鳩山一郎が公職追放となったため、あとをうけて進歩党との間に連立内閣を結成した。民主自由党を与党とした少数党内閣として第2次内閣を結成、その後、総選挙で絶対多数をとって第3次内閣を結成、さらに、自由党を与党として第4次・第5次内閣をつくった。
- 片山哲…日本社会党の委員長として、1947年4月の総選挙で初めて第1党となったが、議会の過半数に達していなかったため、民主党・国民協同党と妥協して連立内閣を結成した。傾斜生産方式を実施し、物価を戦前比の65倍とするのに対して、賃金を27倍におさえる政策をとったため、労働者の反発をうけ総辞職に追いこまれた。
- 鳩山一郎…犬養毅内閣の文相となり、斎藤室内関でもひき続き文相をつとめ1933年に京大(滝川)事件を起こしたが、第2次世界大戦中の翼賛体制には反対の立場をとった。1954年に日本民主党を結成し、これを与党として内閣をつリ1955年に保守合同を実現させて、自由民主党の総裁となり、1956年に日ソ共同宣言に調印して日ソ国交回復に成功した。
- 岸信介…警察官職務執行法を改正して、警察官の権限を強化しようとしたが失敗、教職員の勤務評定の実施を強行して反発を受けた。日米安全保障条約の改定を企てたことから、激しい安保闘争が起きたが、1960年に自ら渡米して日米新安全保障条約に調印、内閣は同条約の批准直後に総辞職した。
- 池田勇人…「寛容と忍耐」をスローガンとして、所得倍増計画を打ち出し、中華人民共和国との間に政経分離を唱えてLT貿易を開始した。1964年、アジアで始めてのオリンピックを東京で開催し、それに合わせて東海道新幹線を開通させるなどしてオリンピック景気とよばれる好景気をつくり出した。
- 佐藤栄作…1968年、小笠原返還協定に調印し、同年に返還を実現させた。戦後、首相として始めて沖縄を訪問し、1969年には佐藤・ニクソン会談によって沖縄の本土復帰を決定、1971年の返還協定を経て1972年に返還を実現させた。
- 田中角栄…1972年、北京で周恩来首相との間に日中共同声明に調印し、中華人民共和国との国交正常化に成功した。日本列島改造論を唱えたが、土地をはじめとして物価が高騰して国民の反発を買い、社会的にも1973年には円が変動相場測に移行し、金大中事件や第4次中東戦争による原油価格の大幅値上げが起こった。
- 中曽根康弘…公共事業の民営化が推進され、日本車売公社が日本たばこ産業会社、電電公社が日本電信電話会社、国鉄がJRとなった。1985年に戦後の首相で初めて神社の公式参拝をおこない、1986年には天皇在位60年記念式典が挙行された。
- 細川護熙…非自民連立内閣であり、これによって自民党による長期単独内閣に終止符が打たれ、55年体制が崩壊しました。
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