【日本史】江戸時代の交通と都市の発達

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【日本史】江戸時代の交通と都市の発達についてまとめています。

江戸の交通

江戸時代には京都の豪商であった角倉了以が、富士川・高瀬川などの河川の開削を行った。 琵琶湖や淀川・利根川などで水上輸送が積極的に利用された。河村瑞賢が東廻り航路・西廻り航路を整備した。西廻り航路の整備により敦賀・新潟・酒田などが栄えた。東廻り航路によって、東北地方の米を大坂を経ずに江戸に運ぶことができるようになった。南海路を廻船が定期的に運航して、物資輸送を行った。

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輸送

江戸時代には大坂から江戸へ酒を輸送するために登場した樽廻船が、やがてその他の日常物資を輸送するようになった。 東海道の大井川など特定の河川では、幕府の政策として橋を架けることが禁じられた。街道・宿駅が整備され、宿駅には本陣・問屋場などが置かれて、人馬による交通の便がはかられた。

17世紀の中ごろ、江戸と京都・大坂との間に民間の文書・荷物を運ぶ町飛脚が公認され、次第に全国各地に普及した。 中山道には、板橋から守山まで67の宿駅が設置されていた。東海道には、品川から大津まで53の宿駅が設置されていた。 中山道の碓氷などでは、関所が設けられて旅行者や荷物が厳しくあらためられた。

都市

江戸は政治の中心として、「将軍のお膝元」とよばれ、大坂は業都市として発展して「天下の台所」といわれた。また、京都では手工業生産が発達した。北陸の金沢は、近世に大名・前田氏の城下町として栄えた都市であり、明治初期には日本海側で最大の人口を擁した。松江は近世に発展した都市であり、石見大森銀山のあった島根県の都市でもある。

近世には、城下町は武家地・町人地などというように、身分ごとに居住空間が区別されるのが通例であり、町人町の中でも、同じ職業の人だけで住む町もあった。江戸時代の城下町では町年寄などの町役人が町政の運営まかされた。 江戸時代の城下町では職人の家に、徒弟が住み込みで働いている場合があった。

まとめ

  • 交通…港町、宿場町、門前町(もんぜんまち)が栄え、手紙や荷物を運ぶ飛脚がさかんに。陸上の交通も発達し、江戸を中心に五街道を整備。海上交通の発達では、檜垣廻船(ひがきかいせん)(木綿や油、醤油)、樽廻船(酒)などの大阪・江戸間の定期船が運航。西廻り航路、東廻り航路では、東北・北陸地方の年貢米を江戸大阪に運ぶ。
  • 江戸…「将軍おひざもと」として、将軍の城下町に。18世紀初めには人口約100万人の大都市に成長。日本橋には魚市、神田には青物市。
  • 大阪…「天下の台所」として、全国の商業や金融の中心地に。諸藩が蔵屋敷を置き、米や特産物を販売。
  • 京都…西陣織などの絹織物に清水焼きなど優れた工芸品を生産。

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