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【歴史総合】アヘン戦争

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【歴史総合】アヘン戦争のポイントです。

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アヘン戦争

アヘン戦争は、清の役人が密輸厳禁策を強行して、イギリス商人のアヘンを没収して焼き捨てたため、イギリスは自国の貿易や商人の保護を口実にして、1840年、清に戦争をしかけた。これをアヘン戦争という。約2年間の戦争で、近代的な兵器をもつイギリスは、強力な艦隊を送って広州や上海を占領し、南京にせまって清を降伏させた。

アヘン戦争までの過程

  1. 清朝の動揺…乾隆帝末期から政治の腐敗、八旗兵の無力化。日連教徒の乱
  2. 清朝の貿易制限…貿易港を広州1港に限定。公行の貿易独占。英はマカートニー・アマーストを派遣して貿易改善を要求したが、清は拒否。 三角貿易…イギリスは清から茶を輸入。貿易赤字解消のためインド産のアヘンを清に輸出。
  3. アヘン戦争…銀の流出でアヘン貿易を禁止→密貿易増加→林則徐が広東でアヘン取り締まり、対英強硬策→1840年アへン戦争→清敗北。

アヘン戦争後の出来事

  1. 南京条約(1842年)…広州・上海など5港開港、公行の廃止、香港島の割議。1843年虎門寨追加条約で領事裁判権などの不平等条約を結ぶ。清は広州・上海など5港を開き、イギリスに香港をゆずり、多額の賠償金をしはらった。
  2. 不平等条約(1844年)…アメリカと望廈条約、フランスと黄埔条約で同様の権利を認める。
  3. アロー戦争(1856年)…イギリスはアロー号事件を口実にフランスを誘って出兵。
  4. 天津条約(1858年)…清が批准を拒否→イギリス・フランス軍北京を占領→ロシアの調停。
  5. 北京条約(1860年)…天津など11港開港、外国公使の駐在、貿易・布教の自由。九竜半島南端をイギリスに割譲→中国の半植民地化。

太平天国の興亡と洋務運動

南京条約によって、開国によって綿製品が大量に流入し、綿織物の生産を副業にしていた農民のくらしを圧迫するとともに、戦費や賠償金の支払いのために重税が課せられ、人々のくらしはさらに苦しくなった。1851年、洪秀全は農民を率いて兵をあげ、国号を建業国とし、1853年に南京を占領して都とした。太平天国は、清の義勇軍とイギリスなどの外国人部隊の攻撃を受け、内部分裂もあって、1864年に滅んだ。

  • 太平天国の乱…洪秀全がキリスト教的な拝上帝会を組織。1851年広西省で挙兵→南京攻略、太平天国と号し、減満興漢・天朝田敵制度を唱える。
  • 抵抗勢力…郷勇(曾国藩の湘軍・李鴻章の淮軍)、ゴードンの常勝軍。
  • 洋務運動…同治の中興期に、曾国藩・李鴻章らが近代化を推進。

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