高校世界史「イギリス史」ここだけは押さえる!

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【高校世界史】イギリス史についてまとめています。

イギリス革命

地主や富農・中小商工業者のなかには、土地を失った農民を賃金労働者としてやとい、毛織物工業などの工場制手工業(マニュファクチュア)を経営して、多くの利益をえようとした者もあった。こうした工場制手工業の経営者(資本家)を市民階級とよび、市民革命の中心となった。

  • 有産市民層…農奴制の崩壊→ジェントリ(地主)・商工業者・ヨーマン(自営農民)が成長。牧羊や毛織物業で富裕になる。
  • ピューリタン(カルヴァン派)…有産市民層に多く,ステュアート朝のジェームズ1世の課税や国教強要に反対。
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ピューリタン革命

1640年から60年、王政が否定され、クロムウェルによる共和政治が行われる。

  • 議会…チャールズ1世に権利の請願を認めさせるが、王は議会を解散。
  • 内乱…スコットランド(長老派)の反乱→1640年議会を招集→議会は王の失政を攻撃→1642年、王党派対議会派の内乱。
  • クロムウェル…王党派を破り(鉄騎隊)、長老派を議会から追放→チャール ズ1世を処刑し、独立派中心に共和政を樹立。航海法を定めオランダと戦い、アイルランドを征服。護国卿となり軍事独裁政治→国民不満。

名誉革命

1688年、議会を無視する国王を追放し、新たなを王を迎える。翌年、権利章典を制定。名誉革命によってイギリスの議会政治の基礎ができた。

  • 王政復古…1660年チャールズ2世が即位後、カトリック復活をはかる→議会は審査法・人身保護法を制定。
  • 名誉革命…1688年トーリ・ホイッグ両党がオランダ総督ウィレム3世とメアリを招き、ジェームズ2世は亡命。翌年ウィリアム3世とメアリ2世は権利の宣言を承認(権利の宣題として制定)。
  • 政党政治…17世紀末から。18世紀前半から責任内閣制開始。18世紀初め、エブリテン王国成立。1714年からハノーヴァー朝となる。

イギリスのインド支配

アジアへの侵略を進めるイギリスは、1600年に、アジアとヨーロッパの貿易や、アジアでの植民地経営を進めるために東インド会社を設立し、マドラス・ボンベイ(現在名はムンバイ)・カルカッタを拠点にムガル帝国に進出した。

  • インド支配権の確立…1757年、プラッシーの戦いでフランスを破る。
    東インド会社の動向…インド貿易を独占、マラーター同盟・シク王国との戦争に勝利して支配域を拡大→本国の自由貿易化で貿易独占権を失う。
  • インドの反乱…インドは英工業製品の原料供給地・販売市場となる→在来の木綿手工業に打撃→反英感情の高まり→1857(~59)年インド大反乱
    →58年、ムガル帝国滅亡。東インド会社を解散し、インドを直接統治。
  • インド帝国の成立(1777年)…ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねる。これによってインドは、イギリスの原料供給地と工業製品の市場としての完全な植民地に変えられてしまった。
  • アフガニスタン…イギリス・ロシアが進出し対立。2度のアフガン戦争→イギリスの保護国。

東南アジア諸地域の動向

  • フランスの進出…1887年カンボジア・ベトナム(清仏戦争で保護国)からなるフランス領インドシナ連邦成立。1899年ラオスを編入。
  • イギリスの進出…19世紀前半シンガポール・マラッカ・ペナンによる福岡植民地を形成。1886年ビルマをインド帝国に併合。1895年マレー連合を組織。
  • オランダの進出…ジャワ島を中心にオランダ領東インド。強制栽培制度で高利益。
    タイ…ラタナコーシン朝のもとで、英仏両勢力の緩衝国として独立を維持。

オスマン帝国の衰退

  • 衰退…17世紀末、第2次ウィーン包囲の失敗。19世紀、領内諸民族の独立運動が活発化(エジプトの自立、ギリシアの独立)。
  • 19世紀半ば、西欧化をめざしタンジマート(恩恵改革)。1876年ミドハト憲法制定→1877年ロシア=トルコ(露土)戦争を口実に停止。敗戦でバルカン半島を失う。

その他のイスラム諸国

  • エジプト…ムハンマド=アリーが近代化推進。2回のトルコとの戦争。
  • アラビア半島…ワッハーブ派が復古的革新運動。ワッハーブ王国建設。
  • イラン…18世紀末、カージャール朝。ロシアとトルコマンチャーイ条約。
  • 中央アジア…19世紀後半、ロシアはウズベク人のヒヴァ・ブハラ・コーカンド3ハン国を併合。1881年、清とイリ条約。

重商主義

イギリスの重商主義

1588年にスペインの無敵艦隊を破って海上権をにぎり、アジアや北アメリカに進出した。アジアへの侵略を進めるイギリスは、1600年に、アジアとヨーロッパの貿易や、アジアでの植民地経営を進めるために東インド会社を設立し、マドラス・ボンベイ(現在名はムンバイ)・カルカッタを拠点にムガル帝国に進出した。

  • 東インド会社(1600年)…マドラス・ボンベイ中心にインド経営。
  • 北アメリカ…ヴァージニア植民地、ピューリタンによるニューイングランド植民地。オランダからニューアムステルダムをうばいニュヨークと改称。

オランダの重商主義

スペインから独立したオランダも東インド会社をつくって、バタビア(現在のジャカルタ)を根拠地に東南アジアの香辛料産地を支配した。

  • 東インド会社(1602年)…ポルトガルからセイロン・マラッカ・モルッカ諸島をうばう。ジャワのバタヴィアが根拠地。アンボイナ事件。
  • 南アフリカ・アメリカ大陸…ケープ植民地, ニューネーデルラント植民地。

フランスの重商主義

  • 東インド会社(1664年再建)…ポンディシェリ・シャンデルナゴルに進出。
  • 西インド会社(1664年)…北アメリカのカナダとルイジアナを得る。

イギリスの産業革命

18世紀のイギリスでは、毛織物工業を中心とする工場制手工業が発達し、鉄鉱石と石炭が国内で豊富に産出した。また、海外に広い植民地をもっていたため、原料の供給地と製品の市場があり、豊かな資本をたくわえていて、産業革命がおこる基礎があった。

  • イギリスで始まった理由…毛織物工業などでマニュファクチュアが発達。世界商業の支配で資本を蓄積。広大な植民地(市場)。第2次囲い込みで中小農民没落→豊富な労働力。鉄・石炭などの国内資源。
  • 木綿工業の機械化…インド産綿織物の需要増加→新織機の発明。ハーグリーヴズ・アークライト・クロンプトンらの紡績機、カートライトの力織機。
  • 機械化…毛織物・製鉄・機械・炭坑など。1769年ワットが蒸気機関を改良。蒸気機関車(鉄道)・蒸気船(造船・海運)による交通運輸革命。
工場制手工業(マニュファクチュア)とは、家内制手工業と機械制大工業との中間に位置する。生産手段を有する資本家が、多数の手工業者を仕事場に集め、分業に基づく協業という形態で生産に従事させ、賃金を支払うもの。

産業革命の影響

手工業者の没落→機械うちこわし(ラダイト)運動。産業 資本家の成長。資本主義社会の確立。新興の工業都市の発達。世界市場の形成(イギリスは「世界の工場」)。労働者の困窮→労働問題の発生。産業革命がおこり、資本主義の社会が成立した。その後、資本主義が発達して自由主義が欧米諸国に広まる。

  • 自由主義経済学…アダム=スミスが「諸国民の富(国富論)』で自由放任と自由貿易を主張→マルサス・リカードらの古典派経済学。

19世紀になって産業革命を達成してからは、インド産の綿花を原料として機械生産した綿製品を大量にインドに輸出したため、インドの手工業による綿工業はおとろえ、大打撃を受けた。

各国の産業革命

  • 機械輸出の禁止解除…1825年イギリスが解除。産業革命が各国に波及。
  • 産業革命の波及…ベルギー・フランスは19世紀前半、アメリカ・ドイツは19世紀後半、ロシア・日本は19世紀末。

イギリスの自由主義的改革

  1. ジェントリにより穀物法制定→1820年代から自由主義政策に。
  2. 審査法廃止・カトリック教定解放法(オコンネルら)により公職開放。
  3. 第1次選挙法改正…人口の都市集中による腐敗選挙区廃止。選挙権拡大。
  4. 自由貿易の実現…東インド会社の貿易独占権、穀物法・航海法の廃止。
  5. 労働運動…オーウェンらの努力で工場法。チャーティスト運動。

アヘン戦争とアロー戦争

アヘン戦争は、清の役人が密輸厳禁策を強行して、イギリス商人のアヘンを没収して焼き捨てたため、イギリスは自国の貿易や商人の保護を口実にして、1840年、清に戦争をしかけた。これをアヘン戦争という。約2年間の戦争で、近代的な兵器をもつイギリスは、強力な艦隊を送って広州や上海を占領し、南京にせまって清を降伏させた。

  • 清朝の動揺…乾隆帝末期から政治の腐敗、八旗兵の無力化。日連教徒の乱
  • 清朝の貿易制限…貿易港を広州1港に限定。公行の貿易独占。英はマカートニー・アマーストを派遣して貿易改善を要求したが、清は拒否。 三角貿易…イギリスは清から茶を輸入。貿易赤字解消のためインド産のアヘンを清に輸出。
  • アヘン戦争…銀の流出でアヘン貿易を禁止→密貿易増加→林則徐が広東でアヘン取り締まり、対英強硬策→1840年アへン戦争→清敗北。
  • 南京条約(1842年)…広州・上海など5港開港、公行の廃止、香港島の割議。1843年虎門寨追加条約で領事裁判権などの不平等条約を結ぶ。清は広州・上海など5港を開き、イギリスに香港をゆずり、多額の賠償金をしはらった。
  • 不平等条約…1844年アメリカと望廈条約、フランスと黄埔条約で同様の権利を認める。
  • アロー戦争(1856年)…イギリスはアロー号事件を口実にフランスを誘って出兵。
  • 天津条約(1858年)…清が批准を拒否→イギリス・フランス軍北京を占領→ロシアの調停。
  • 北京条約(1860年)…天津など11港開港、外国公使の駐在、貿易・布教の自由。九竜半島南端をイギリスに割譲→中国の半植民地化。

太平天国の興亡と洋務運動

南京条約によって、開国によって綿製品が大量に流入し、綿織物の生産を副業にしていた農民のくらしを圧迫するとともに、戦費や賠償金の支払いのために重税が課せられ、人々のくらしはさらに苦しくなった。1851年、洪秀全は農民を率いて兵をあげ、国号を建業国とし、1853年に南京を占領して都とした。太平天国は、清の義勇軍とイギリスなどの外国人部隊の攻撃を受け、内部分裂もあって、1864年に滅んだ。

  • 太平天国の乱…洪秀全がキリスト教的な拝上帝会を組織。1851年広西省で挙兵→南京攻略、太平天国と号し、減満興漢・天朝田敵制度を唱える。
  • 抵抗勢力…郷勇(曾国藩の湘軍・李鴻章の淮軍)、ゴードンの常勝軍。
  • 洋務運動…同治の中興期に、曾国藩・李鴻章らが近代化を推進。
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