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【高校世界史】ロシア革命の要点ポイント

【高校世界史】ロシア革命の要点ポイントです。

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ロシア革命

ロシア革命図解

第一次世界大戦が長引くとロシアで戦争や皇帝の専制による民衆の不満が爆発。「パン・平和・自由」を求めて、労働省のストライキや兵士の反乱が続き、代表会議=ソビエトが各地で形成。

  • 二月革命(三月革命)…1917年ペトログラードのストライキ→労働者・兵士がソヴィエトを結成→ニコライ2世退位、臨時政府の成立。
  • 臨時政府…社会革命党・メンシェヴィキが主力。ドイツとの戦争を継続。
  • 十月革命(十一月革命)…レーニンのボリシェヴィキがケレンスキーを倒す。
  • ボリシェヴィキ独裁…ドイツと単独講和(ブレスト=リトフスク条約)。ロシア共産党と改称。首都モスクワ。対ソ干渉戦争に対し、赤軍を組織し、戦時共産主義を断行。1919年コミンテルン(共産主義インターナショナル、第3インターナショナル)を設ける。1922年ソヴィエト連邦の成立。

二月革命とは

二月革命は、1917年2月首都ペトログラードのストライキ・デモから発生した革命。ペテルブルクは、開戦後ドイツ風の名称をきらってペトログラードに改称れていた。さらに第一次世界大戦後はレニングラードと改められた。

  • ソヴィエト…革命の推進力となった。労働者・兵士の代表による評議会。社会準命党とメンシェヴィキはソヴィエト内で多数派を構成し、立憲民主党を中心とする臨時政府に協力した。しかし、一方でこれは臨時政府とソヴィエトという、不安定な二重権力の状態であった。
  • ニコライ2世…二月革命で退位した。ロマノフ朝最後の皇帝。
  • ケレンスキー…臨時政府に入閣し、のち首相として戦争継続を指導した社会革命党右派の指導者。
  • 四月テーゼ…レーニンが「すべての権力をソヴィエトへ」と主張した、ボリシェヴィキの革命基本方針。

十月革命とは

十月革命とは、1917年10月、レーニンやトロッキーらが武装蜂起し、社会主義政権を樹立した革命。

  • 「平和に関する布告」…1917年11月人民委員会議が公布した、無併合・無償金・民族自決の和平を訴えたもの。同時に、土地私有権の廃止を宣言した「土地に関する布告」も発表された。
  • 憲法制定議会…1917年社会革命党が第一党となった。普通選挙によるロシア初の議会。このため、レーニンは1918年1月武力で議会を閉鎖し、やがてボリシェヴィキの一党独裁政治を樹立した。
  • ブレスト=リトフスク講和条約…1918年3月、ソヴィエト政権がドイツと結んだ講和条約。
  • ロシア共産党…1918年3月、ボリシェヴィキが改称した政党。
  • 対ソ干渉戦争…1918年4月から1922年末に、連合国がソヴィエト政権打倒のために行った軍事干渉。イギリス・フランス・アメリカ・日本などが、国内の反革命政権を支援し、チェコ兵救出を口実にヨーロッパやシベリアに出兵した。
  • 赤軍…反革命軍(白軍)・外国干渉軍と戦ったソヴィエト政権の軍隊。
  • チェカ(非常委員会)…反革命派の取り締まりのため、1917年12月に設置された機関。
  • コミンテルン(第3インターナショナル) …世界革命をめざして、1919年3月にモスクワに創設された組織。
  • ソヴィエト=ポーランド戦争…1920年ポーランドがウクライナに侵入し、領土を拡大した戦争。
  • ラパロ条約

    1922年、ドイツがソ連を最初に承認した条約。その後1924年にはイギリス・イタリア・フランスがソ連を承認した。列強はではアメリカがもっとも承認が遅く1933年であった。

    戦時共産主義

    干渉戦争や内戦に対抗するため、ソヴィエト政権が強行した1918年から1921年の経済政策。全企業の国営化、穀物の強制徴発、食料配給制などを実施したが、生産意欲の喪失と不満から、農工業生産は激減した。

    ネップ(新経済政策・NEP)

    生産力の回復のため、レーニンの提起で1921年から採用された経済政策。中小企業の私的営業を許し、余剰生産物の自由販売を認めるなど、一定範囲内で資本主義的な営業を復活させる政策。

    ロシア、ウクライナ・ベラルーシ、ザカフカーは、1922年12月に成立したソヴィエト社会主義共和国連邦を構成した四つの共和国。

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