【高校日本史探究】江戸時代の問屋制家内工業と工場制手工業の要点ポイントです。高校日本史の学習において、産業革命前後の日本の経済発展は重要なテーマです。その中でも、問屋制家内工業と工場制手工業は、伝統的な生産方式と近代化に向けた変化を理解する上で欠かせない概念です。これらの生産方式は、製品の生産方法や労働環境において大きな違いがあり、日本の工業化における過渡期を象徴しています。
本記事では、問屋制家内工業と工場制手工業の違いをポイントごとに解説し、それぞれがどのように日本の経済や社会に影響を与えたかを学びます。
江戸時代の問屋制家内工業と工場制手工業
項目 | 問屋制家内工業 | 工場制手工業 |
---|---|---|
生産の場所 | 家庭内で行う(個人の家で作業) | 工場などの集中的な場所で行う |
生産の管理 | 問屋(商人)が指示・材料提供 | 工場主が管理、指示、労働力を統括 |
労働形態 | 家庭単位で、家族や小規模な労働力による自営的な作業 | 多数の労働者が集まる工場での集団的な作業 |
生産物の種類 | 細かい手工業製品(織物、陶器など) | 大量生産される商品(繊維、衣料、機械部品など) |
労働者の雇用形態 | 労働者は個人や家族単位で、自由な時間がある | 工場で働く労働者は雇われており、厳しい労働時間に従う |
生産規模 | 小規模、生産は個別対応(注文に応じた製品生産) | 大規模、生産効率を重視した大量生産 |
生産の効率性 | 効率は低く、技術や製品の統一性も低い | 効率が高く、製品の統一性や品質が向上 |
導入時期 | 18世紀から19世紀初めまで(主に江戸時代) | 19世紀中頃から近代化が進んだ時期 |
影響 | 地域社会の分業体制を強化、農業との兼業が一般的 | 工業化の進展を助け、労働者階級が形成される |
- 問屋制家内工業…問屋から原料をかりうけた農家が行ったもので、はたおりなどの手工業。
- 工場制手工業…19世紀ごろから登場した商人や地主から工場をつくり、人をやとって行う工業でマニュファクチュアとも呼ばれる。
問屋制家内工業(18世紀)
18世紀になると、豊かな問屋商人や大地主は資金・原料・道具を農民に貸し与えて、製品を買い取るようになり、大きな利益を上げるようになった。これが、問屋制家内工業の特徴である。
工場制手工業(19世紀)
19世紀には、薩摩藩で藩主の島津斉彬が集成館と称する直営工場群を建設し、新たな産業の導入と軍事改革をすすめた。薩摩藩では、調所広郷が砂糖の専売強化や琉球貿易の増大をはかり、藩財政の建て直しに貢献した。農村工業が発達し、織物業などで一部にマニュファクチュア経営も現れた。工場制手工業(マニュファクチュア)では、農業から離れた賃労働者を雇って分業と協業による生産が行われた。
江戸時代後期の工場制手工業は、明治時代に入って近代工業が発達するもとになった。
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