【日本史探究対策問題】弥生時代の問題です。
【対策問題】弥生時代の問題
【問1】縄文時代と弥生時代の生活様式や信仰、居住地域の違いが伝わるように、縄文時代の生活の特徴を80字以内で説明しなさい。
【問2】次の問いに答えなさい。
- 弥生時代に用いられた耕作用の木製農具としてどのようなものがあるか。
- 弥生時代の稲の収穫法を何というか。
- 弥生時代、用いられた稲の収穫用具(石器)を何というか。
- 弥生時代に収穫物を収納するために建てられた建物を何というか。
- 九州北部ではじまった稲作で, 低湿地に開かれた水田を何というか。
- 灌漑施設のある弥生時代後期の水田を何というか。
- 弥生時代には大規模な集落が各地に現れたが、その中には深い深や土塁を周囲にめぐらした防御用の施設をもった集落がある。このような集落を何というか。
- 佐賀県にある。 代表的な例として知られる遺跡を何というか。
- 弥生時代中期から後期にかけて、大阪湾沿岸から瀬戸内海沿岸の山頂・丘陵上に、軍事的・防衛的な目的で営まれた集落を何というか。
- 土器である悪を核として用いた墓で、九州北部に多くみられる弥生時代の墓を何というか。
- 弥生時代の墓として、このほかに大型の平石を自然石の支柱で支えた支石墓や木棺墓・霊
- 棺墓・箱式石棺墓、棺を用いず穴を掘ったままの土壌がある。弥生時代中期から西日本に出現した盛り土をして墓 域を画した墳墓を何というか。
- 弥生時代前期に近畿地方に出現した、方形の低い墳丘の周囲に溝をめぐらした墳墓を何というか。
- 弥生時代中期以降、近畿地方を中心に分布した青銅器は何か。
- 弥生時代中期以降、瀬戸内海中部を中心に分布した青銅器は何か。
- 弥生時代中期以降、九州北部を中心に分布した青銅器は何か。
【解答】弥生時代の問題
【問1】落葉広葉樹林での採取やサケ・マス漁が容易な東日本で栄えた。金属器や農耕儀礼を持たない小集団が台地を移動し、自然物を崇拝する身分差や経済格差の小さい社会を築いた。
【問2】
- 木製の鋤など
- 穂首狩り
- 石包丁
- 高床倉庫
- 湿田
- 乾田
- 環濠集落
- 吉野ケ里遺跡
- 高地性集落
- 甕棺墓(かめかんぼ)
- 墳丘墓
- 方形周溝墓
- 銅鐸
- 平形銅剣
- 銅矛など
弥生時代の定期テスト対策問題の解説
【問2】
1.木製農具は、初め磨製石器で製作され、木鍬・竪牛・田下駄・えぶり(水田面を平らにならす農具)などその種類もさまざまであった。木製農具の製作にはしだいに鉄製工具が用いられ、さらに、鉄製の刃先をもつ農具も普及するようになった。
6.弥生時代の水田跡として、菜畑遺跡や板付遺跡のほかに 前期では青森県にある砂沢遺跡。中期では青森県にある垂柳遺跡、後期では静岡県にある登呂遺跡、山木遺跡などが 知られている。また、水田に複を直接播く直播が弥生時代の一般的方法とされてきたが、岡山県百間川遺跡などの例から、田植えをおこなっていた例もあることが判明した。
9.関連集落の代表例としては、吉野ヶ里遺跡のほかに神奈川県横浜市にある大塚遺跡、兵庫県川西市にある加茂遺跡が知られている。高地性集落の代表例としては香川県三豊市にある紫雲出山遺跡が知られている。
【要点】弥生時代
紀元前4世紀初め頃、西日本に水稲農耕を基礎とする弥生文化が成立し日本にも広まった。紀元前4世紀から紀元後3世紀の時期を弥生時代と呼んでいる。
弥生時代の稲作
佐賀県菜畑遺跡、福岡県板付け遺跡など、西日本各地で縄文時代晩期の水田跡が発見され、水稲農耕が始まっていたことが明らかにされている。弥生文化は水稲農耕を基礎とし、高温で焼かれた薄手の弥生土器、銅と錫の合金でつくられた青銅器、木材を伐採し加工するための石斧類、穂摘み用具の石包丁にとってかわって鉄鎌などの鉄器、機織り技術などをともなう新文化である。
収穫物は高床倉庫や貯蔵穴におさめられた。木製農具の製作にはしだいに鉄製工具が使用されるようになった。農具の普及とともに、水田は低湿地につくられたのでなく、灌漑施設を整えた乾田の開発も進められた。
弥生時代の集落
弥生中期以降、佐賀県の吉野ヶ里遺跡に代表されるような深い濠や土塁をめぐらした環濠集落や戦争に備えて山頂や丘陵上に形成された高地性集落が出現した。
埋葬形態では、土魔墓や木棺墓にそれまでの屈葬とは違う伸展葬のものが多くみられるようになり、方形の低い墳丘のまわりに溝をめぐらした方形周溝墓も出現した。豊かな実りを祈願するために、近畿地方に分布している釣鐘型の銅鐸に代表される。青銅製祭器が用いられた。弥生文化は北海道や南西諸島にはおよばず、北海道では続縄文文化、南西諸島では貝塚文化と呼ばれる食料採取文化が続いた。
コメント