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【高校日本史探究】大正時代の要点ポイント

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【高校日本史探究】大正時代の要点ポイントです。

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大正時代

米騒動の責任をとって総辞職した寺内正毅内閣に代わって、1918年9月、立憲政友会総裁の原敬が、日本で最初の政党内閣を組織。

第二次護憲運動

1924年1月に、官僚の清浦圭吾内閣が成立すると、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の護憲三派は、政党内閣と普通選挙を求める運動をおこした。その結果、清浦内閣は倒れ、6月に憲政会総裁の加藤高明が連立内閣を組織し、政党政治が復活した。(第二次護憲運動

関東大震災の直後

関東大震災の直後には、根拠の無い流言をもとに、多くの朝鮮人が自警団や官憲によって虐殺された、関東大震災による混乱の中で、無政府主義者の大杉栄と伊藤野枝が憲兵によって殺害された。1925年(大正14年)には普通選挙制度が成立したが、普通選挙論を唱えた政治学者には吉野作造がいた。

憲政の常道

加藤高明内閣成立以来、1932(昭和7)年の五・一五事件で犬養毅内閣が崩壊するまで、政党内閣がつづき、立憲政友会と憲政会(のち立憲民政党)の二大政党が交代で政権を担当した。ただ一人の元老西園寺公望や総理大臣経験者などの重臣たちも、政党政治を「憲政の常道」とみなして、これに協力した。

しかし、議院内閣制が憲法上に制度化されたわけではなく、議会の権限はかぎられたもので、軍部・枢密院・官僚のような議会外の勢力もなお大きな力をもっていた。また政党政治とはいっても、総選挙の結果により政権の交代がおこなわれたことはほとんどなく、野党は政権をとるため、しばしば議会外の勢力と手をにぎって政府・与党を攻撃した。

■ 憲政の常道
慣例として、衆議院で多数の議席を占める政党が内閣を組織することである。

第一回普通選挙

第1次加藤高明内閣の選挙法改正に基づく最初の衆議院議員選挙で、無産政党から8名が当選した。第一次世界大戦後、労働者・農民の利益を代表する、労働農民党などの無産政党が結成された。第一回普通選挙では、その無産政党からの当選者も出た。「

治安維持法

治安維持法は、「国体」の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社運動の取り締まりを意図していた。田中義一内閣のときに、特別高等警察(特高)が全国に設置された。治安維持法第一条に示された最高刑は、田中義一内題のときに死刑に訂正された。治安警察法と治安維持法は、ともに1945年に廃止された。

金権政治

政党相互の対立はいちだんとはげしくなった。

普通選挙の実施で有権者が急増したため、選挙資金はますます巨額になった。

政党は政治資金の調達などをつうじてふかく財界とむすびつき、政党政治家の汚職事件もしばしばおこった。

そのため政党政治は「金権政治」であるとして、国民の不信感が高まった。

このような状況のなかで軍部や国家主義団体などの政党政治排撃の動きがしだいに勢いを増していった。

社会運動

大正期の社会運動において、第二次世界大戦前、社会主義思想の研究には国家によるきびしい 制約があり、森戸辰男は研究論文が危険思想とされ処罰された。鈴木文治が設立した友愛会は、労資協調を唱え、労働組合運動の母体となった。東京帝国大学の思想運動団体である新人会は、社会科学の研究や啓蒙を行い、日本の社会運動に大きな影響を与えた。

第一次世界大戦後の1920年代前半には、差別からの解放を訴え全国水平社が設立され、部落差別の撤廃をめざした。市川房江は女性解放運動の指導者で、平塚らいてう(雷鳥)らと新婦人協会を結成して女性の政治参加を訴えた。1924年婦人参政権獲得期成同盟会を作り、第二次世界大戦後には参議院議員となった。『青鞜』は、平塚らいてうによって創刊された。市川房枝が婦人参政権獲得運動をはじめたころ、山川菊栄らが社会主義の立場からの女性解放運動を展開した。社会主義を宣伝する赤瀾会が、女性によって結成された。社会運動が、全国に広まる。

■ 女性運動
・1920年…平塚雷鳥が新婦人協会を結成。女性の政治活動の自由、高等教育の拡充などを求める。
・1924年…婦人参政権獲得期成同盟会を作り、第二次世界大戦後には参議院議員となった。
■ 部落解放運動
・1922年部落差別からの解放を目指して、全国水平社が形成される。

第一次世界大戦が終わると、輸出や国内の需要が減少して不景気になり、企業の倒産や失業者が増加した。こうした社会状況の中で、大正デモクラシーの風潮が広まり、ロシア革命の影響もあって、労働運動や農民運動が活発になっていった。

労働争議…労働者が雇い主に労働者の意見を認めさせるためにストライキなどを行う。
小作争議…小作人が地主に小作料の引き下げを求める。
・1922年には、農民運動の全国組織として日本農民組合が結成された。

自由主義の風潮が高まり

  • 民本主義…吉野作造が、普通選挙によって国民の意向を政治に反映させることを主張。
  • 天皇機関説…美濃部達吉が主張した、主権は国家にあり、天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治するという憲法学説。

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