【高校倫理】儒学(朱子学と陽明学)のポイント

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【高校倫理】儒学|朱子学と陽明学についてまとめています。

儒学

春秋・戦国時代から漢代にかけて、多くの儒教の経典が編集された。そのうち主なものは、のちに四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)および五経(『日談』『手線』『書経』『礼記』『春秋』)として尊重された。漢代以降、これらの経典を研究する学問として儒学が発展した。のちに仏教の影響も受けて、儒教に哲学的要素が取り入れられた。朱子学と陽明学はその代表である。

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朱子の理気二元論

南宋の朱子(1130年から1200年没)は、理と気という2つの要素から天地万物の成り立ちを説明する理気二元論にもとづき、壮大な思想体系を築いた。これが朱子学である。

万物に内在する宇宙の根本原理。それは万物を成り立たせるは、法則・存在の根拠であり、形あるものを超えた本質的なものである。人間は、社会を成り立たせる道徳的秩序や従うべき規範の根拠となる。

万物を成り立たせる元素的な素材であり、気体状の物質と考えられ 気と陰陽や五行(木・火・土・金・水)の気に分かれ、これらの結合により、地万物が発生する。

朱子によると、理は気に内在し、理がなければ気は形を取ることができない。その意味で理に重点が置かれ、万物にやどる理を知ることでその本質を把握できない。

居敬窮理と格物致知

朱子によれば、人間は天から理を授かっており、人間本来本来の性質(本然の性)においては、その本性(性)は理である(性即理)。ところが現実の人間の性質(気質の性)においては、物質的な気にもとづく欲や感情に妨げられ、理に従い完全に善をなすことができない。そこで、気質の性を克服して本然の性を回復する修養が必要となる。 これが居敬(持敬)窮理と、窮理の具体的方法としての格物致知である。

  • 居敬窮理…居敬は、心をつつしんで欲や感情を抑え、理に従う態度を保つこと。窮理は、万物をつらぬく理を窮めること。
  • 格物致知…事物の理を1つ1つ探究していき、知を致す(窮める)こと。

王陽明と心即理

理気二元論で人間をとらえる朱子学に対し、明代の王陽明(1472年から1528年没)は、理を人間の心に見いだし、人間の心はそのまま理と一体であるとする心即理を唱えた。心は理なので、誰でも生まれながらに善悪の判断能力(良知)を持っており、この良知を最大限に発揮して生きること(致良知)こそ人間の生きる道だと王陽明は説いた(陽明学とよばれる)。

知行合一

王陽明は実践を重視した。彼は、「知は行の始めであり、行は知の完成である」と述べ、知ることと行うことは本来2つに分けられず、良知は実践により完成されるものだとする知行合一を主張した。

朱子学

林羅山

戦国の世を統一した徳川氏が開いた江戸幕府は、その支配体制を正当化する新たな理論を必要としていた。朱子学はその理論として選ばれた。林羅山(1583 ~ 1657)は、徳川家康から4代にわたる幕府の将軍に仕えた。

上下定分の理

林羅山は、著書『三徳抄』や『春鑑抄』で、上下定分の理を唱えた。これは、自然界において天地の差別かあるのと同じように、人間界にも君臣の差別 があり、この上下関係の秩序が理法として万物をつらぬいているという考えである。林羅山は、封建的身分秩序を理にかなうものとして肯定し、具体的表現が「礼儀・法度」であるとした。

存心持敬

上下定分の理によって正当化された身分秩序において、最重要視すべき徳が「敬」である。「敬」とはこの場合、「うやまう」ではなく「つつしむ」ことであり、自分の欲や私情を抑えて理に従い、本分を尽くすことである。「敬」を常に心に保ち、理と一体であることを存心持敬という。林羅山は、こうした厳しい心のあり方をもって上下定分の理をきわめ、支配階級としての自覚を高めることを武士たちに説いた。

官学としての朱子学

林羅山が唱えた教えは、幕藩体制を正当化するものとして受け入れられ、朱子学は幕府の官学のようになった。朱子学者は幕府や諸藩に仕え、教育を担当するだけでなく政治に参与することもあった。なかでも木下順庵(1621~98)は、5代将軍綱吉の侍講となり、その弟子の新井白石(1657~1725)は、6代・7代将軍のもとで幕政にかかわり文治政治を推進した。

正徳の治

新井白石は海舶互市新例を出して、長崎の貿易額を制限した。さらに、輸入品の代金のうち銅で支払う分を増やし、金銀の流出を防ごうとした。新井白石が改鋳した正徳小判は、慶長小判と同程度の金含有率を持つ良質なものであった。正徳の治を実施した新井白石は、元禄小判を改鋳して良質な正徳小判を発行した。しかし、貨幣価値の変動によって経済に混乱を招く結果となった。

山崎闇斎

朱子学者の山崎闇斎は、京都に塾を開いて多くの門人を育てた。「敬」と「義」を重視し、「敬」を臣下の道徳として厳格な精神修道を強調した。また、山崎闇斎は神道家としての面も持ち儒教と神道の一致を唱えて、 垂加神道を創始した。

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